年輩者の意地

画像は、かつて瀬戸市のバイク店で借りたレンタル車両のレブル250です。

わたしの髪に白いものが混じるようになってからもう随分、経ちます。そのうちに友人知人から「いつまでもお若いですね」なんて言われないとも限らないです。

わたしも、もう、そういう年齢になりました。とうに人生の折り返し地点を過ぎています。いい年をしたおじさんです。

最近、巷間には、いわゆる“アンチエイジング”という思想的潮流がありますね。昨今、流行っていて世の中を席巻(せっけん)している人気のある思想です。

例えば本記事の冒頭で述べた「いつまでもお若いですね」という言葉は今や褒め言葉になっています。けれども翻って考えてみると、こんなに馬鹿馬鹿しいことはありません。

それでは齢(とし)をとった甲斐がないではありませんか。いつまで経っても青年らしい奴なんて。あなたは何のために齢(とし)を取ったのですか。

年齢にふさわしい信仰、思想がその人の内になければ何のために生きてきたのか、ということになるのではありますまいか。

それにつけても近頃の若者の軽薄さ、偽りの陽気さ、その騒々しさは一体どうしたことでしょう。「汝等しずまりて我の神たるをしれ」(文語訳聖書)!

わたしは年輩者なら年輩者らしい、若い人達には持つことができないような立派な人生観を持ったうえで一日一日を過ごすべきだ、と考えます。

われわれは加齢をネガティブに捉えるべきではありません。昔から年の功と言いますね。年には功があるというのです。どうしてでしょう。

われわれ年輩者は若い人達よりもこの人生の途上で多くの汗を流し、多くの涙を流してきているからです。

ですから若者は人生の先輩である年輩者を馬鹿にできるはずはないし年輩者は若い人達を前にして卑屈になる必要もないのです。

わたしは教育業界で働いてきたこともあって子供達とその親に媚(こ)びを売る大人をあんまり見過ぎてきました。彼らにも、それなりの理由があったのかも知れません。

いわく、生徒との信頼関係を壊したくないから。いわく、年度の途中で退塾する生徒をなくしたいから。いわく、生徒の機嫌をとっておかないとアンケートで散々なことを書かれるから。

いかにも、もっともらしい理由です。しかしながら、いい年をした大人が信念を持たないと、こういう卑屈な物言いをすることになります。

何を恐れているのですか。リストラされることでしょうか。それなら、いっそリストラされて教育業界から足を洗って別の業界に飛び込んでみればいい。

そこまでの覚悟がないから足許を見られるのです。昨今、信念を持たない成熟した大人が多すぎると思います。

われわれは、もっと素敵な齢の加え方、もっと素敵なものの考え方をしてゆけるのではありますまいか。

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