目には目を歯には歯を
「目には目を歯には歯を」をという言葉はよく知られています。人気ドラマの主人公も「やられたらやり返す。十倍返しだ」と啖呵(たんか)を切っていました。
実は「目には目を歯には歯を」という言葉は旧約聖書にも記されています。それではキリスト教の教典たる旧約聖書はいわゆる復讐を促しているのでしょうか。
もう一つの教典たる新約聖書には「あなたの敵を愛せよ」というイエスの言葉もあります。そうであるならば両者の言葉は矛盾するのでしょうか。
答えは否(ノー)です。「目には目を歯には歯を」という言葉を皆が誤解しています。この言葉は復讐を促している言葉ではありません。むしろ復讐の抑止を促している言葉なのです。
この言葉を解釈するにあたっては同害報復という考え方を理解する必要があります。例えば、誰かが眼を潰されたら仕返ししていいのは眼だけです。
同害報復ですから激昂(げきこう)して眼を潰した憎い相手を殺害することまではできません。あくまでも報復が許されるのは被った害の範囲内です。
歯を折られたら加害者に報復していいのはあくまでも歯だけです。それ以上の害を加えることは許さない、というのが同害報復の考え方です。
もし読者諸賢が眼を潰されたり歯を折られたりしたら相手を許せない、と思う事でしょう。そして復讐しようとするはずです。
その際その復讐の気持ちはエスカレートするのが普通です。悪くすると傷害を負わせた相手を殺害する懼(おそ)れがないとはいえません。
そこで「目には目を歯には歯を」なのです。要するに一番いいのは何もしない、という事です。復讐するな、と言っているのです。
さように考えますと「目には目を歯には歯を」という言葉と「あなたの敵を愛せよ」という言葉は決して矛盾しないことが分かります。
同害報復というルールを作った昔の人は人間の心理を十分に理解していた、と言えます。何なら現代の心理学以上に、という言葉を付け加えてもいい。
そうしますと「やられたらやり返す。十倍返しだ」と、息巻いていた人気ドラマの主人公は同害報復という考え方を知らなかったと言えるかも知れません。
少なくとも彼は同害報復という考え方を履き違えていた、と言っても差し支えないのではありますまいか。