読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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信仰なくして世を渡るとペシミストになるのではないか、という危惧をわたしのこれまでの経験が教えているような気がする。けれども、最近判ったが人生の不遇や苦境は創作に繋がる。一般に創作は罪から生み出されるという誤解があるが、そうではない。苦悩から生まれるのだ。
芸の肥やしとして飲む、打つ、買う、ということが言われるが、そういうモラルのなさからは何も生まれない。芸事に役立つのは「苦悩」だ。とりわけ物を書く人間には苦悩は必要だ。この文章も人生の曇りの日に書かれている。晴れの日には人は書けない。曇りの日こそ、言葉が生まれる。
ここでふたりの人物について考察したい。尾崎放哉と種田山頭火である。両者共に俳人だ。放哉は四十一歳で病気で亡くなっている。一方、山頭火は五十八歳で心臓麻痺で亡くなっている。
創作は怖い。人生を狂わせることがある。両者共に家族を捨てて放浪の旅に出ている。家族を失い、社会からこぼれ落ち、生活が破綻し、ただ言葉だけを頼りに生きた。なぜ、ふたりは孤独漂白の生涯を送ったのだろうか。
まず、放哉について記していく。彼は東大法学部を卒業している。それでいながら過酷な人生を送ることを余儀なくされたのだ。山田風太郎の『人間臨終図巻』の第一巻によればこうだ。
《原因は、一応は、酒を飲むと人が変わる酒癖の悪さであった。しかし、ほんとうの原因は、人間界に暮らせない「底の抜けた柄杓」のような、彼の異様な性格にあった。》
わたしも変わっている、と言われる。しかしながら同時にモラリストとも言われる。わたしは彼のような性格破綻者ではないが社会に上手く適合しているかと問われれば浮かぬ顔をして首を横に振るだけだ。それゆえ、放哉の孤独が少しだけ分かるような気がする。
放哉の有名な一句はこうだ。「咳をしてもひとり」誰もが知る一句だ。そして放哉の人生がこの一句に凝縮されている、と言って過言ではない。彼を創作に駆り立てたものは何か。再び『人間臨終図巻』の一巻から引用する。
《しかし、実際の放哉の放浪の生活は、当然苛烈なものであった。彼は孤独を望んだにちがいない。が、人間は孤独に生きるにも、最低限度の収入が必要であった。それがなかった。彼は友人や島の人々に金や食物を乞わねばならなかった。》
孤独は好い。至極いい。だが孤独な生活を成り立たせるためには経済的に自立している必要がある。実は、わたしはそれを心得ているからこそ塾の経営に精を出しているのだ。われわれは学歴を渇望するが実際に手に入れても心の渇きは癒されないであろう。
次に山頭火について記す。彼も実は「底の抜けた柄杓」のような人物であった。通常の生活を営む能力や意志が欠けていた。それも著しく。そして遂に妻子を捨てる。彼の一句はこうだ。「鉄鉢の中へも霰」彼も人々にお金を無心した。乞食だった。
山頭火について前掲書にはこう書いてある。
《昭和八年四月二十一日、五十一歳の彼の日記「性欲をなくしたノンキなおじいさん!私もどうやらそこまできたようだ」山頭火は放哉とは異なり、完全に人の世や、なまなましいおのれの欲望を断ち切れないで苦しんだ。》
山頭火の名前をはっきり知ったのは漫画で、であった。いわしげ孝氏の『まっすぐな道でさみしい』(講談社刊)がそうである。この漫画は今では、どうやらフリマサイトにて高値で売買されているようだ。それだけの内容がある漫画なのだ。
孤独を抱えながらも、なお世界を肯定しようとする、というのが山頭火の作風であるようだ。わたしは今、五十五歳だ。放哉の死去した年齢はとうに超え、山頭火の死去した年齢には近づいている。生活が破綻しているわけでもない。創作は苦しいが収入に繋がる。彼らが踏み込めなかった老境の言葉で今後も文章を綴っていきたい。
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