我が塾の宣伝広告

国語専門塾を営んでいると多くの文章を読まなければならない。説明文や物語文などジャンルを問わず大量の文章を読むことが仕事と言っても過言ではない。したがって、こうして文章を書くことは意識していないと疎かになってしまう。

しかし、国語専門の塾は塾長が文章を書くことにより自らの塾の国語の実力を知らしめねばならない。他に国語塾の真価を知ってもらえる方法はないのである。他の塾ならいざ知らずYouTubeに動画投稿することは国語塾の実力を知らせる方法としては適当ではない。国語は 「読解力」も「思考力」も「文章力」も、すべて言語でしか伝わらない。

かつてわたしもyoutubeに動画投稿をしていた時期があるが効果はあまりなかったと言わざるを得ない。それゆえ、こうして文章を記している。wordが壊れてメモ帳で記事を書くようになって明らかに潮目が変わったと思っている。問い合わせが途切れないのだ。

メモ帳は余計な装飾がないし、フォントも固定されていて書くことだけに集中できるのだ。つまり、文章の純度が上がるのだ。このことと問い合わせが絶えないことの間に何らかの因果関係があるのではないかと考えている。

さらにわたしは記事で相当な自己開示もしている。読者諸賢はどう思われているか知らないが我が塾のブログでは人に知られたくない恥ずかしいことや自分の弱さも赤裸々に記している。もちろん自己開示の作法はある。自己開示の文法に則って書いている。そうすると読み手の心に訴求するようなのだ。

例えば、昔、学習塾で男子生徒から野次られ、女子生徒からは眉を顰められたことなども包み隠さず書いている。あるいは失業していて貧困に陥って肉体労働で日銭を稼いでいたことも書いている。結婚できなくて現在も独身であることや寝る前に薬を服用していることまで公表している。

以上の事実を書く際にやはり躊躇いはあった。けれども、あえて書いた。事実を事実としてありのまま書いた結果、どうなったのか。問い合わせが続くようになった。受験生に至っては満員御礼で入塾を断るまでになった。もちろんブログでの自己開示と満員御礼との間に明確な因果関係があったのかは分からない。

ただし、データを解析すると恐らくはその線ではないかと思っている。したがって、自分の悪いところをわざとさらけ出す露悪趣味にならないように品格を保持しつつ今後も自己開示をしていくつもりだ。

自己開示をすると読み手の顰蹙を買わないか心配するかも知れない。わたしも最初はそう思っていた。だが違うのだ。事実はその逆だ。自己開示は読者の信用を得られるというのが真実に近い。これは心理学的にも、マーケティング的にも正しいとされている。

今になってようやく国語塾の生徒募集の正解を見つけることができたと考えている。現在、我が塾は受験生とそれ以外の学年の生徒諸君を合わせてわたしが直接教えることができるキャパシティーの限界に近づいている。受験生を除く小学五年生以下の生徒諸君はあと若干名は教えられるはずだ。

学習塾の多くが宣伝広告に手間と費用をかけている。そして、それは意味のあることなのだ。かつて塾を立ち上げるに際して塾経営者に教えを乞うたら「いい授業をしていれば生徒諸君が入塾してくれるだろう、というのは幻想だ」と教えてもらった。

当時は逆説のように思ったが、それだけ記憶に強く残っている。爾来、宣伝をしなければならない、広告しなければならない、ということは常に考えている。さはさりながら我が塾の宣伝広告はホームページだけである。

ホームページのブログを読んで共感してくださったご家庭の子弟が集まって構成されている学び舎こそ我が塾なのだ。今朝の宣伝広告はこの辺にしておこう。水風呂に入りながら教材を大量に読み込む仕事が控えている。

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