読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
TEL 052-918-2779
営業時間:14:50-22:10
・メルカリで出品していた6弦ベースが売れた。商品代金は金99,900円也。手数料は9,900円で送料は2,200円だった。昨日、ベース本体をソフトケースに入れて段ボールで包んで送付した。我が塾の教室まで集荷を依頼した。集荷の手数料は100円で、送料に含まれている由。6弦ベースはいわゆる奢侈品である。売却して正解だった。
・昨日の授業で小学5年生の塾生に名古屋中学校の大昔の過去問を解いてもらった。塾生にとって難しく感じられたようで点数も自分が思うように取れなかったようだが点数は気にしないがいい。今の時点で中学受験の国語のゴールを知ることこそ大事なのだ。ちなみに、くだんの塾生は過日、滝中学校の過去問で推定配点で六割以上の点数を叩き出してはいる。
・「言う者は知らず、知る者は言わず」ということわざがあるが、わたしの書く文章が愚か者の余計なお喋りに堕していないかを憂うる。然り、口は禍の元なのである。塾を経営していなければ、わたしは沈黙を選んでいたはずだ。経験上、沈黙で失敗することはないからだ。
・現代の神聖なるドグマのひとつに因果律がある、とある思想家はいう。最近、報じられているバスの事故で高校生が亡くなっている。なぜ亡くなったのか。事故の原因ではなくて、そもそもなぜうちの息子が死亡したのか。事故を経験した遺族は事故の究極的な理由が分からないはずだ。因果律では説明できないのだ。したがって皆は事故、事故と言っているのだ。
因果律では説明できないことが世の中には満ちている。人は理由を求めるが理由が見つからないことの方が多い。わたしは塾で子どもたちに国語を教えているが、なぜこの子が伸びるのか、なぜこの子が伸び悩むのか、その究極的な理由を説明できない。ただ、目の前の子どもが今日も机に向かっているという厳然たる事実があるだけだ。
そうであってなお、否、そうであるからこそ、わたしは因果律を超えたところで子どもに向き合いたい。努力したから伸びる、伸びなかったから努力が足りない、そんな単純な世界ではない。今日の一行、今日の一問が将来のどこかで子どもを救うかも知れないではないか。その可能性に賭けるのが、わたしの仕事であり、わたしの祈りですらあるのだ。
・先般、受験だけではなく教養を身につけてほしいので和歌を暗誦すると当ブログで宣言した。現状では上手くいっていない。先ずは目の前のテストで成果を上げなければ教養云々を言う資格はないのかも知れない。要するに教師であるわたしの覚悟のほどが試されているのだ。
・ゴールデンウィーク期間中、休まず塾を開けていたことで二組の親子の体験授業を行うことができた。休まず営業した甲斐があった。とはいえ二組とも今のところ入塾には至っていない。思えば我が塾は去年の年末も今年の正月も休んでいない。大型バイクをレンタルして梅雨になる前の間隙を縫って授業に支障が出ぬ限りツーリンに行くことも許されるのではないか。今からの季節はバイカーとしての血が騒ぐのだ。
・教室の前に置いておいたストーブを仕舞い、代わりに扇風機を出しておいた。日が長くなっている。冬は過ぎ、春が到来して季節は梅雨に向かっている。塾生の学力を夏休み前に少しでも上げるために対策を講じておきたい。塾生には先手を打って余裕を持って受験に臨ませてあげたい。
この稿は早朝に書いている。朝の四時過ぎには白々と夜は明けて外は次第に明るくなっている。冬は去ったのだ。先般、雪国で暮らしている弟が春は嬉しい、としみじみと語っていた。長い間、寒さの厳しい北陸で暮らしていると春の到来が嬉しくないはずはないのだ。
冬の寒さに震えていた者であって、はじめて春の暖かさを実感できるのだ。然り、苦しんだ先に喜びがあるのだ。中学受験とそっくりではないか。
春を造られた神を想い、信仰者であるわたしは今日も子どもたちと共に国語を学ぶのだ。国語は単なる受験科目ではなく、神が人に与えた“言葉”という贈り物を扱う営みなのだ。
コメント