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歴史家は好んで「歴史は繰り返す」という言葉を用いる。しかし、果たしてそのとおりか。われわれは少しもよく考えようとしない。
わたしが思うに一度、起こってしまったことを、ないことにはできない。覆水盆に返らず、というのが結論だ。
一度言った言葉は、言われた方は忘れることはない。言った方は訂正できない。相手の記憶をなしにすることはできない。常識はさように教える。
理解を深めるために極端な例を挙げよう。愛する我が子を殺されたら、その子は蘇らない。死が厳粛なのはその不可逆性にある。我が子を想わない親はいまい。それゆえ、死はいつだって世界の何処かで報じられている。
「歴史は繰り返す」というのは逆説的な言葉だから記憶に残る。ということは一度、外に向かって自分の思うことを口にすると取り返しがつかない、ということになる。言葉には、よくよく気をつけねばならない。
悪い言葉を言ったら、善い言葉を口にして、それを相殺することはできない。われわれは善行を積めば天国へ行ける、と平気で思っている。数々の悪行の清算も済んでいないのに。
ほんの僅かな善行で、悪行をちゃらにしようとする。なんと厚かましい態度か。言葉についても同じことが言い得る。
無駄口は利かない方がいい。なぜなら「歴史は繰り返さない」からだ。われわれは思いのほか何気ない言葉で他人を傷つけているものだ。さようなことに気づいて意識していても人間は愚かな言葉を口にする。
善い言葉は意識していなければ口をついて出ない。ただ、善い言葉によって自分の無駄口をなし、にすることは、やはりできない。繰り返すが相殺はできないのだ。
かつて父の説教を聞いて感銘を受けたことがある。それはこういう話だ。本居宣長は悪い行いをしたら板に杭を打った。善い行いをしたら杭を抜いた。なかなか杭は減らなかった。だが、とうとう杭がなくなった。
宣長はそれを見て思った。杭はなくなったが穴があいている、と。これが本記事の眼目だ。「歴史は繰り返さない」。
個人の言葉も、国家の行為も、不可逆である点では同じだ。イランと米国の間で戦争が起こっている。民間人が次々に斃れている。女子小学校が瓦礫と化している。嗚呼、多くの無辜の子どもたちが犠牲になったのだ。
彼らは父や母を残して彼岸に渡った。此岸には二度と戻ってこられない。此岸で母や父は血糊のついた教科書を抱きしめて泣き叫ぶ。だが、その叫びは虚しく彼岸には届かない。「歴史は繰り返さない」。
われわれの人生は一度切りだ。なるべく善い言葉を口にしよう。悪い言葉を口にするのは避けよう。二度と同じ人生を送ることはできないのだから。自戒の意味を込めてそう思う。
昨今、少子高齢化という論点が盛んに議論されている。そうであるならば子どもが少ない、という面も高齢化についてと同様に十分に話し合うべきだ。
子どもたちは、われわれの希望そのものだ。大事に、丁寧に、接しなければならない。子どもを欲望の道具とみなす輩は言語道断だ。取り返しのつかない穴を自らの心に穿つことになる。
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