人生で残されている時間

日曜日の晩、YouTubeで動画を視聴していた。「リベンジ版令和の虎」という番組をたまたま見つけた。番組を視聴すると、あの田代まさし氏が集中砲火を浴びていた。遠慮のない発言をぶつけられていた。百万円の出資をしてもらうために。

今、田代氏は六十九歳だ。後一年すれば古希である。金を持っているいけ好かない出資者からの容赦ない質問を受けて、それでも頑張っていた。滑舌の悪い喋り方だったが誠実に受け答えをしていたように見えた。

田代氏は現在お金がないのだろうか。わたしが思うに、ないから「令和の虎」に出演していたに違いないのだ。遠慮会釈なく論難されるのを織り込み済みで。そこに田代氏の覚悟を垣間見た思いがする。

かつての人気タレントが金持ちの若造から容赦のない言葉の石礫を投げつけられていた。精神的に満身創痍だった氏の心情は如何ばかりだったことだろう。

挙句の果てに検査キットで覚醒剤を今も使用しているか番組内で検査をさせられていた。カメラは田代氏がトイレで小便をするところまで撮影していた。ちなみに、検査結果は陰性であった。

覚醒剤を使うことをわたしは、いささかも擁護しない。むしろ激しく嫌悪する。しかし、だからといってトイレで小便をするところまで撮影しなくてはならないのか。スポンサーは田代氏を見世物にしているのか。そこまでして再生回数を稼ぎたいのか。

わたしは古希を目前に控えた老人に躊躇うことなく石を投げつける出資者の誤った正義感に嫌悪感を覚えずにはいられなかった。西洋のことわざに言ってある。地獄への道は善意で舗装されているのだ。

出演者の中には「田代お前偉そうなんだよ」と発言した医師がいたが、その医師こそ偉そうに思えた。金を持っていることがそんなに偉いのか。YouTubeを視聴していたわたしが拳を握っていた。然り、わたしは怒りを覚えていた。

田代氏に残された時間は多くない。今は元気で健康かも知れないが、いつ病気になってもおかしくない年齢である。

確かに田代氏は頑張っている。だが冷静に考えて彼が元気に活動できる時間はどんなに多く見積もっても後十年であろう。十年で信頼を築かねばならない。はたして間に合うのか。

わたしはその点だけは出資者の高慢な医師の「齢七十に近い人に何ができるのか」という発言は辛辣だが本質を射抜いた言葉であることを認める。

然り、田代氏に残された時間は多くはない。人生のタイムテーブルでいったら就寝時間、つまりは死が間近に迫っている。

そう思い至ると、わたしは氏の姿とわたしの姿とをオーバーラップして考えざるを得なかった。わたしも五十五歳である。人生に残されている時間は決して多いとは言えない。後、何年、働くことが許されるのか。

父は生涯現役で牧師という職業を続けたかったようだが七十歳で癌に罹患して余儀なく牧師を引退した。われわれはいつまでも働けるわけではないのだ。

父が癌に倒れてステージ4と宣告された年まで残り十五年である。父が宣告をされた年に名古屋に出てきた。幸いにも父は現在、癌は寛解している。十五年でわたしに何ができるか。

YouTubeを視聴していると若いみそらで癌と闘っている人々が動画で容態や予後を発信していることが判る。しかもその数は少なくない。癌以外にも闘病している方々もおられることだろう。田代氏も含めて皆、頑張っているのだ。

番組を視聴していて改めてわたしはこれからどう生きるべきかを考えさせられた。このまま平針で塾の経営をつづけて遂には土にかえるのか。それは何か違うように思うのだ。

わたしの天命とは何か。若い頃には時間は無限にあると思い誤っていた。しかし、今は残りの人生で何をなすべきか、を考えている。わたしに与えられた使命とは何か。それが判ったら喜んでこの残りの人生を捧げよう。

わたしは田代のように薬物に依存しているわけでもないし酒やギャンブル中毒でもない。何かできるはずだ。その何かとは何だろう。世のため人のために生涯を使うことだろう。飽きずに善いことをすることに違いあるまい。

わたしは完全燃焼してこの世での生を終えたい。したがって、まだまだ死ねない。残されてる義務は少なくない。といって人生に未練はない、と辛くも言い得るのではないか。

わたしには愛する妻も守るべき子どももいない。親愛なる生徒諸君がいるだけである。生徒一筋の独り身の男である。

わたしの人生のステージはいわゆる終活の段階に進んでいる、といって過言ではない。番組を観て、このささやかな生涯を悔いなくして終わりたい、と思わされた。

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