優しい教師と厳しい教師

今日は土曜日ですでに授業は終わっていて、この後に授業はない。教室のパソコンで好きな音楽を聴きながら独りキイを打っている。ゆったりとしていて、なおかつ静謐な時間が流れている。

土曜日だからといって、安穏とはしていられない。我が塾のような個人塾は怠けていていい時間は一刻たりともない。授業がない日中の時間を利用して、この稿を書いている。

ふと思い出す。わたしが幼い頃、父は厳しかった。暴力を振るわれたわけでも暴言を吐かれたわけでもないが躾は厳しかった。けれども、それは父の優しさだった。父の愛情だった。

ある時、悪さをして父を前にしてズボンを降ろして尻をベルトで打たれたことがあったが途中で父の手が止まって放免された。

父は我が子が痛みに耐える姿を見るに忍びなかったのだ。これが親の真実の愛情だったと今、思う。その頃はさようなことはよく分からなかった。

だが、頭に白いものが混じる今になって、自分の子どもの頃の愚かさを振り返って悔やむのだ。わたしが悪さをして父を悲しませたことを、落胆させたことを。

そうであるならば塾生にも真の愛情を持って接するべきだ。わたしは塾生の歓心を買うために物分かりのいい顔をしていたが、それは保護者の望む教師像でないことに最近ようやく気づけた。

わたしは叱ることが苦手である。というのも生徒からそっぽを向かれたら塾稼業はできないからだ。けれども駄目なものは駄目と厳しく教えなければならない時がある。

子どものよくない態度をなあなあに済ませてはいけないのだ。それでそっぽを向くほど我が塾の生徒は愚かではないはずだ。

𠮟責の背後に愛情がある場合、それは必ず子どもに伝わる。微妙だから、子供だから、伝わらないだろうと思うのは大人の浅はかさかも知れない。

わたしは愚かにも今頃、父の愛情がよく理解できるようになった。父から受けた罰の光景を今になっても明瞭に覚えている。そして、それは嫌な想い出ではなく懐かしさすら覚える。

然り、もしかしたら叱った時には子どもには伝わらないかも知れない。だが、時間が経って、なぜ自分が罰を受けなければならなかったかが腑に落ちることがある。

そういう次第で、わたしは子どものためになることをわたしに痛みが伴っても行いたい。決して簡単なことではないが愛情は時間を超えるのだ。

若い頃、わたしは塾で小中学生を対象に国語を教えていた。地元では大抵の人が知る大きな塾だった。その会社社長の息子は恐怖政治のようなクラス運営をしていた。

生徒諸君は社長の息子たるその教師を憎んでいた。ときに彼は気に入らない生徒の首を絞めたという。それゆえ生徒諸君はその教師にいちいち従った。しかし、何人も塾を辞めていった。

若い頃のわたしは、その生徒諸君が可哀想でならなかった。そして、社長の息子の授業のやり方に、クラス運営に、強烈な違和感を覚えた。いや、お体裁は止めよう。わたしはそのやり方をすこぶる嫌悪した。

そういう反動からか、あるいは、わたしの元々の性格からか、生徒諸君に優しく振る舞おうと決意を固めた次第だが何事も過ぎたるは猶及ばざるがごとしで叱るべきときに、なあなあに済ませてよい道理はない。

優しさだけでは子どもは伸びない。厳しさだけでは子どもは壊れる。両方を持つ教師だけが子どもを伸ばすことができる。これは、わたしが長い時間をかけて辿り着いた真理だ。五十五歳にしてようやく会得した真理だ。

若い頃は馬力があったが智恵が足りなかった。五十五歳の今は智恵はあるが体力は往時よりも衰えている。何とも皮肉なものだ。けれども教育に対する熱意だけは往時も今も変わらず赤々と燃えている。

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