常務の理解できる範囲

夕飯を食べ終えて水風呂に入りながら、明日の授業のテキストを確認する。歯磨きも終えている。後はだらだらスマホで好きな動画でも視聴しながら床に就きたい。けれども、わたしはブログを書く。冷蔵庫の上の置時計を見る。八時を過ぎている。今朝は四時に起床している。ただ、欠伸は出ない。

先般、卒塾生にわたしのエッセイ集を二冊スマートレターに入れて送付した。ラッセンの絵葉書に肉筆でメッセージも添えた。そうしたところ卒塾生の母親から御礼のメールを頂戴した。なぜか「今後とも、よろしくお願い致します」と記してあった。わたしは目を閉じて、その言葉を嚙み締めた。

今日は授業で説明していたら、ある問題のところでしどろもどろになってしまった。それを思うと胸がちくりと痛む。塾生は無邪気に笑っていた。いっそう申し訳ない気持ちになった。悪いことに保護者が参観しておられた。授業をもっと良いものにしようと反省した。パッケージが良くても中身がいい加減なら客はその店から離れていく。

去年、同じ天白区にある学習塾が廃業している。その塾は中学生を対象にした高校受験塾だった。ホームページにも勢いがあり実際に生徒も集めていた。廃業した本当の理由を知りたい。昨日まで存在した塾が今日にはもうなくなるのだ。

その塾の塾長はわたしと年の差のない独身の男性だった。ワンオペで塾を運営していた点もわたしと同じだ。何なら喫茶店で教育談義を交わしたいくらいだった。くだんの塾は忽然と消えてなくなった。塾長の足取りも杳として知れなかった。

さようなことを考えていると、昔勤めていた大手塾の常務を思い出した。彼は強烈な人物だった。彼の自動車が教室に向かっているのを見るだけで重苦しい気持ちになった。講師の生殺与奪の権を持っていて皆、びくびくしながら仕事をしていた。

職員室に入ると雰囲気が一変するほどだ。彼は怖くて嫌な奴だった。ただ、馬鹿ではなかった。このことが彼をますます危険な人物にしていたと今は思う。一回「水上君は本当に子どもが好きなの」と訊かれて、拳を固く握って乱暴な言葉を飲み込んだことがある。

その常務がいる大手塾に勤めていた頃、覚えたてのWordで作った文字が不揃いのテストを生徒諸君は戸惑いながらも解いてくれたことを思い出す。手作りのテストだが人前に出すものではなかった。やがて常務の耳にもこの件は入った。だが彼は不思議と立腹して強い言葉を言うでもなく教え過ぎる危険をさりげない短い言葉でわたしに伝えて後は何も言わなかった。

若いわたしは休みの日も朝に教室に出かけてコピー用紙の補充や掃除、ゴミの整理などをしていた。切りがなかった。教える技術は未熟だったが朝の人気のない教室で授業のシャドーもしていた。わたしは何か大きな物に突き動かされていた。

ふと、冷蔵庫の上の置時計のディスプレイを見ると九時を過ぎていた。突然おくびが喉を突き上げるようにして出た。食べるものは食べたし、そろそろ寝室に退くべきではないか、と思った。うんと伸びをした。後少しだけ書いてから煎餅布団に身を委ねよう。そろそろ頃合いか。

そういう次第で朝の五時である。未明一時過ぎにテーブルの上の畳んだ段ボール二枚が滑り落ちて腹に当たった。目が覚めてしまい、服薬してまた眠り、改めて今、起きたのだ。窓から見ると外がほんのりと明るい。本当はもう少し寝ていたい。昨日は常務の話をしていたのだっけ。

常務は日産の中古のマーチに乗っていた。常務はわたしと年はさほど違わなかったが、家のローンをほとんど終えていたらしい。ここまでなら話は判る。だが、いいクルマやバイクを所有していた社員を見下していた。

常務と話していると、わたしが三菱のパジェロミニに乗っていたのを怪訝に思っていた節があった。智恵のない人物として映っていたのか。ぴかぴかのハーレーに乗って本部で常務と会った時、ほらやっぱり、という顔をしていた。わたしは常務の理解できる程度の人間であったのか。常務の掌で踊らされている人間のひとりだったのだろうか。

常務の人物評を聞くと辛辣ではあったが、なるほど、と頷けるものがあった。社内で受験生に贈るメッセージを書こう、となった際に国語講師のわたしの知らない漢文を紹介していた。格が違った。他人の教養の程を見極める冷徹で鋭い目があった。昨日の保護者の目もまた妙に気になる。

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