読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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いつも寝る前には薬を服用する。そして布団を被って枕に頭を預ける。床に入ってからスマホで動画を見ながらだらだら過ごす。ひとしきり見たところでスマホを枕の傍らに置いて目を瞑る。それでどうやら眠れる。
わたしは昨夜も寝る前に照明を落とした寝室で動画を視聴していた。ザッピングしていると闘病しながら発信している方がおられるのが判る。その数は決して少なくない。
癌と闘っておられる女性患者で夫婦で海外に旅して満喫している方がおられる。くだんの夫婦の動画はよく視る。今回の動画にはモンゴルで馬に乗っている姿が映し出されていた。
とても元気で、癌に罹患している人には到底見えない。それゆえ病気そのものについて疑うようなコメントもあるそうだ。しかし、病人が元気であって何が悪いのだろう。病気だからといって、一日中病気のことだけを考えて生きねばならぬわけではない。
馬に乗るのはさぞ楽しい経験だろう。身体いっぱいに風を受ける感覚。次々に風景が変わっていく快感。今までわたしも色々乗って来た。鉄の馬、つまりオートバイに。オフロードバイクで、あのだだっ広い草原を駆け抜けることができたらどうだろう。
わたしは目を瞑った。草原の風を全身で浴びる。狼の遠吠えが聞こえる。家畜の臭いがする草いきれの平地をオフ車で進むことを想像するだけで思わず頬が緩む。
モンゴルで本物の馬に乗っている女性の病状は決して軽くない。草原で馬に乗っている間は無心に愉しんだらいい。自由に生きてほしい。
わたしはモンゴルに行ったことがない。ましてやモンゴルの地でバイクを走らせたこともない。目を閉じる。彼の地で自分の鉄馬と並走する馬を想像する。
あの女性も闘病しながら馬に乗って、それを発信している。先のことを考えると決して楽観はできないはずだ。それでも馬に乗る。その映像を見て腕を組んで考える。
われわれは自分の髪の毛の色さえ白くも黒くもできない。「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」という福音書の聖句を思い出す。
教会の礼拝で父はよく語っていた。「生きているのではない。われわれは神に生かされているのだ」と。瞼を閉じる。「生かされている」という言葉を噛み締める。今ならその言葉の本当の意味が判るような気がする。
そういう真剣な思索とは裏腹に山下達郎の軽快な歌がそしらぬ顔して割り込んできた。パソコンから流れてくる音を意識してしまう。少しだけ愉しんでしまう。
わたしは黙って考える。今の日は永遠には続かない。われわれは望むと望まざるとにかかわらず髪の毛は白くなり、腰は曲がり、杖をつくようになる。そして、間もなくこの地上での戦いの多い日から移される。
わたしの教会の兄貴分は三十代で癌に斃れた。時々思う。彼が生きていてくれたら、と。一方で弟分は自ら命を絶った。いい奴だった。
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