もうひとり

ブログが書けない。腕を組んだまま天を仰ぐ。溜息をつく。冷蔵庫の上の置時計に目をやる。寝床を畳んでから一時間が過ぎようとしている。最近、毎日ブログを更新している。懸命に書いている。だが、努力とは裏腹に問い合わせが来ない。今月に入ってから新規の入塾者がいない。

さはさりながら、わたし一人で見るのはそろそろ限界を迎えようとしている。先日、体験授業に来られた親子にも受け入れないことはない、と言ってある。何とも歯切れの悪い言い方だ。需要は一応あるのだ。だが席はない、ということだ。

我が塾は小学生を対象にした中学受験塾である。それも国語専門だ。これから大々的に中学生も入れるべきかどうか。経営判断としては重大な局面になる。

あの中学生の保護者は授業を大変気に入ってくれた。席が空かないなら来年度からでもお願いしたい、と言っておられた。授業料についてもかなり細かいことまで質問されていた。そして、また電話しますと、とのことだった。

断ってもよかった。けれども、わたしはそうしなかった。なぜだろう。自分でも不思議だった。中学生を指導したことがないというのではない。むしろ地元で塾講師をしていた時は主に中学生の国語を見ていた。

これは戦略だ。我が塾ではあえて中学受験のしかも国語専門というニッチな領域に絞り込んだ。ネットなどを見ていると国語専門塾のことを揶揄して「国語だけ塾」とかいう悪口が書かれているが当たらずとも遠からずだと思う。

わたしは国語馬鹿である。国語しかできない。その意味では我が塾は「国語だけ塾」なのだと思う。本当は英語も教えられるが、あえて国語にこだわっている。

中学受験の科目に英語はないが国語はある。それゆえ国語を教えてほしいという依頼はそれなりにあるのだ。しかも今回は中学生の国語だ。保護者がどうしても、というので体験授業を行ったのだ。そして保護者は来塾される時、不安だった、と打ち明けてくれた。

それはわたしも同じだった。中学生にまで門戸を開いていいものかどうか。躊躇っている。逡巡している。むろん、あの親子に受け入れますよ、とは言った。約束は守る。そうであってなお考える。正直に記せば、もうひとり入塾してくれれば経済的には楽になる。

今は繁忙期だが夏休みが終われば一段落つく。そうであるならば既存の授業枠の何処かにねじ込むことはできるはずだ。ただ、そうすると中学受験の国語専門塾というブランド形成に瑕がつき、経営方針がブレる可能性が出てくる。

「いいではないか。お前はバイクが欲しかったはずだ。もうひとり入塾するのを躊躇っていたらいつまで経ってもバイクは買えないぞ」という囁きが聞こえてくる。一方で「塾経営者として大局を見て考えるべきだ。森を見よ、木を見るな」という囁きも聞こえてくる。どちらなんだ。わたしはぶつぶつ呟く。

さはさりながら、そもそも我が塾は木を見る塾だ。一人ひとりを丁寧に見る塾だ。実を言うと新しくバイクを買えるくらいのお金はあるのだ。それゆえ躊躇っているとバイクが買えない、というのは違う。

「そうなのだ。ここまで来たらバイクを買ってしまえ。残された時間を存分に愉しめ、我が魂よ」自分の声なのか、悪魔の囁きか、定かでない声が聞こえてくる。

わたしは塾を大きくしたいのだろうか。それとも現状維持か。分からない。「お前の言う理念で腹は膨れるのか。これまでを振り返れば判るはずだ。立派なことを言っている奴がお前に千円でも貸してくれたか。もう少し地に足をつけた考え方をせねば困るね」

本稿を書き始めてから白々と夜が明けて窓から見る外は明るい。冷蔵庫の上の置時計はとうに六時を過ぎていた。結局、延々と中学生一人を入塾させるかどうかについて考えていた。

いつかあの保護者の方から電話が来るだろう。そのときに何と言うべきか。わたしはまだ決めかねている。

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