海外の若者から再評価される高中正義と十代の頃の記憶

高中正義はギタリストだ。しかも技巧派のギタリストだ。日本のフュージョン界を牽引してきたミュージシャンとも言い得る。わたしが中学生の頃、ラジカセにカセットテープを入れてよく聴いたものだ。

高校入学のお祝いに父からエレキギターを買うお金を貰い、そのお金でストラトキャスターを購入した。高校に入ったばかりの時は熱心に練習していたが、どうやら楽器を弾く才能はなかったようで、いつまで経っても上手く弾くことができなかった。

高校では部活には入らなかった。いわゆる帰宅部である。授業が終わるとすぐに家に帰った。高校生だったわたしは何としてもいい大学に入ろうという野心に燃えていた。勉強すればいい大学へ入学できると信じて疑わなかった。

家で机に向かって、こつこつ勉強していた。勉強に疲れると高中正義を聴いていた。高中正義の曲のコピーもしてみたが人前で披露できるような出来栄えではなかった。やがてコピーは断念したが高中の曲は引き続き聴いていた。

高中の曲は夏と相性がよかった。わたしにとっては一服の清涼剤のようであった。わたしが十代の頃の話だ。教会員から高中のレコードを借りてダビングをして「虹伝説」などをカセットテープで聴いていた。やがて時代はレコードからCDへと変わっていった。

十代の頃のわたしは余裕がなかった。大学受験に全力で挑んでいた。紆余曲折を経て東京の大学へ入学した。入学したはいいが、わたしは心身ともに尋常でないほど疲弊していた。へろへろだった。大泉学園にある下宿から何とか都心の大学に通っていた。

入学した年に歌手の尾崎豊が死去して、雨の中の葬儀の様子がテレビで報じられていた。暗い気持ちになった。なぜだか周囲の大学生が眩しかった。わたしは中高生の頃、聴いていた高中正義のことを忘れてしまっていた。見るもの全てが新しくそれに馴染もうと必死だった。東京は受験で燃え尽きたようになっていたわたしには刺激が強すぎた。

やがて下宿は小田急線沿線がいい、ということになった。当時は弟と同居していて、弟がそういうのだ。小田急線の小田急相模原駅で降りて歩いて半時間はかかるアパートが新たな下宿先となった。下宿近くに教会があった。わたしたち兄弟は後日、日曜日毎にその教会に通うようになった。

わたしは教会で過ごす時間が愉しくて仕方がなかった。その教会の教会員に連れられて高中正義のライブに行ったことがあった。ライブでは昔の曲は演奏されず、その点は残念だった。だが中高生の時からのファンだったわたしとしては、やはりライブに足を運べて嬉しかった。教会員の恩情に心から感謝をした。

その高中正義が昨今、海外で受けているという。高中はとうに七十歳を超えている。いま海外の二十代や三十代の若者に熱狂的に支持されていてライブのチケットは即完売になるほどだという。

YouTubeで高中のLAでのライブを視聴した。青い目をした観客がしきりに手を突き上げたり、スマホをかざしたりしていた。誠にギタリスト冥利に尽きるのではないか。最近、ネットの記事で以上を知り、昔話をしてみた次第である。

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