天白区平針駅前にある中学受験国語専門塾の塾長雑感(26)

今日は一週間が始まるというのによく眠れなかった。いつも寝る前には薬を服用しているが眠りが浅い。ほとんど必ずといっていいほど未明に目が醒める。そして、改めて寝るのだが、ぐっすり眠れることはまずない。思うに快眠できることは幸せなことなのだ。

先週は一組の親子が来塾して体験授業を受けてくださった。体験授業後、即、入塾を決めてくださった。一生懸命な女子児童であった。昨日午後、彼女のために教材を発注しておいた。初授業までには間に合うはずだ。現在、我が塾の経営は静かに軌道に乗り始めている。

安息日の日曜日、わたしは水風呂に入りながらヒルティの『幸福論』を岩波ワイド文庫で読んでいた。同書は若い頃から読んでいるが、どうしてこのように深い思想が生み出されるのか読んでいて驚嘆する。天才的な思想家だと思う。読者諸賢にも本稿を読んだのをきっかけに一読することをお勧めする。

ⅤESPAのGTS300スーパーの中古車がGOO BIKEに出品された。イタリアの外車だが排気量の割に車格がこぶりで、それでいて乗車姿勢に余裕があるという知る人ぞ知る名車だ。300ccなので高速道路も走れる。わたしは今のバイクを所有して五年、六年になるか。随分長い期間乗っているが流石に飽きた。一生懸命、働いて300ccのVESPAで小旅行ができたらと夢想している。わたしは自動車を所有していないのでバイクは少し贅沢なバイクに乗りたいのだ。

思ったことをそのまま口にしてはいけない。それは人生を生きる上での鉄則なのだ。わたしは言葉で多くの失敗をして人を傷つけて来た。そうであってなお、わたしは思うままをこのブログに記事にして書いている。これは賢くない書き手にとっては、はなはだ剣呑な行為なのかも知れない。本来は沈黙を守った方がいいのだ。わたしは自分の書いた文章が愚か者の駄文に堕していないか、を常に恐れる。

今朝は小雨が降っている。梅雨である。昔、牧師館の傍らの庭で紫陽花が咲いていた。何気なく眺めていたが少年の日のあの頃にはもう戻れない。今年は母の日にカーネーションではなく鉢植えの紫陽花を贈ったのだが値札が外されていなかった。渡すときに気づいてすぐに外したが実に心ないことだと思う。店の不手際に腹が立って仕方なかった。

朝七時過ぎに本稿を記している。孤独である。外での自動車やバイクの音が聞こえる。扇風機が回っている。エアコンは使っていない。Tシャツと短パンで執筆している。髭も剃っていない。本稿を書き終えたら身支度をしよう。朝の出勤がないのが在宅ワークのいいところだ。

三木清は『人生論ノート』で以下のように記している。

《孤独には美的な誘惑がある。孤独には味ひがある。もし誰もが孤独を好むとしたら、この味ひのためである。孤独の美的な誘惑は女の子も知つてゐる。孤独のより高い倫理的意義に達することが問題であるのだ。
その一生が孤独の倫理的意義の探求であつたといひ得るケェルケゴール(原文ママ)でさへ、その美的な誘惑にしばしば負けてゐるのである。》


孤独を倫理として生きることは常に誘惑との戦いである。孤独には確かに甘美な側面がある。だが、わたしは孤独を味わうために書いているのではない。孤独を引き受けるために書いているのだ。

バイクは孤独な乗り物である。走っているとき否応なしに神と対峙することになる。風の音しか聞こえない。わたしはバイクに乗っていることさえ意識せずに神に向かって祈る。目を開けたまま祈る。人馬一体になって、心を剥き出しにして祈る。神は応答されたのか。神はご存知である。風の音だけが聞こえる。

ユニセフの「ガザ人道支援」のための寄付を募る広告動画が泣かせる。子どもたちは何も悪くない。十歳の少女エリーヌは汚れた姿で平和を訴える。だが断固断じて彼女の魂はこの世の塵にまみれていない。われわれは純真無垢な少年少女を守らねばならない。そのためならわたしも寄付したい。そして、我が塾の生徒たちをいよいよ大事にしたい。子どもは将来の日本の背負う宝なのである。

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