彼ならどう教えるだろうか

朝飯に海苔を加えることをうっかりしていた。塾生の保護者から海苔を頂いたのだ。いつも朝食は玄米に溶いた卵をかけて、その上に釜揚げしらすをパラパラと振りかける。ここに海苔が加われば、また違ってくるはずだ。

今日は授業料振り込みの締め切り日なのでインターネットバンキングで口座情報を確認した。我が塾は高邁な理念を掲げているが、まさか霞を食べて生きていくことはできない。口座情報を知ることも仕事のうちだ。正直に記すと、わたしはお金が嫌いではない。

昔、付き合いの長い友人がかく語りき。「水上君、世間には弱い人もいるのだよ。楽して大金を稼ぎたい、というのが本音ではないか。君みたいに意志の強い人間ばかりではないよ」と。わたしは、この言葉に妙に納得してしまい、今に至るまで覚えている。

さらにいえば、この友人は旧司法試験の短答式試験に合格していた。しかも、それを自慢するでもなく、こちらから問い質して、ようやく重い口を開いたのだ。

友人は熱い奴だった。「世のため人のため」が口癖だった。彼がたまに言う「好きで貧乏やっているんだ」という言葉は言い過ぎではないかと思ったが、たしなめる言葉を飲み下した。嫌われたくなかった。いついつまでも永遠に友人でいたかった。

大学のゼミが終わってから食事を共にして彼の下宿で明け方まで語り合った。わたしがキリスト者だと知ると色々な質問をしてくれた。それは興味本位というのとは違ったが入信するというのでもなかった。ふたりが議論に疲れて眠っている間に日は高く昇っていた。

彼は学生時代から自活していた。大学に通いながら家庭教師として生活費を稼いでいた。ある家庭では生徒の母親に大変気に入られ、某宗教に熱心に勧誘されたことを面白おかしく話していた。

その母親はある大学の女子学生を持ち出して、入信したらこういう賢くて可愛い女性を紹介する、と言うのだそうだ。われわれは一緒に笑った。わたしは「入信してみたら。だって一流大学の美人と付き合えるのだよ」と意地悪を言った。そう言うと彼は「わたしはヨシキ教の信徒だ」と混ぜっ返す。

しかし、友人はわたしの許を去った。毎年きっちりと元旦に届いていた年賀状も届かなくなった。わたしは貧しいこの友人のために米や味噌などの食糧を本と一緒に、ときどき宅配便で送っていた。わたしの片想いではなかったはずだ。

わたしは生徒の弱さをことさらに責めることはしない。かつての友の「水上君、世間には弱い人もいるのだよ」という智恵を尊重したいからだ――彼ならどう教えるだろうか。

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