疾風怒濤の時代

わたしの最終学歴は早稲田大学社会科学部卒だ。むろん四年間で卒業している。だが早稲田大学に入学する前は愛知大学法学部に一年間、通って中退している。愛知大学に通いつつ早稲田を目指して受験勉強をしていたのだ。いわゆる仮面浪人である。

その頃の愛知大学の法学部はキャンパスが、みよし市にあり、黒笹駅が最寄りの駅だった。わたしは行き帰りの電車の中でも勉強していた。自分のポテンシャルはこんなものではない。そう思って遮二無二勉強をした。ある時は電車の中で眠り、車掌さんに起こしてもらったこともある。

愛知大学で講義が終わると大学の図書館で受験勉強をしていた。図書館が閉まる最終の時間まで勉強をした。勉強に疲れると雑誌コーナーで雑誌を読んだ。雑誌といっても大学に置いてある雑誌なので学術誌である。あまり気分転換にはならなかった。

大学の図書館が閉まると大学のトレーニング施設で運動した。毎回、律儀に通ってトレーニングに精を出した。十分、シャワーを浴びて汗を流した。キャンパスを下り、最寄り駅まで歩いて行った。もう他の事など考えていやしなかった。早稲田合格という大願を成就するために必死だった。

愛知大学が悪い、というのではない。小高い丘にある大学の施設は十分に魅力的だった。学生たちで賑わっていた場所で過ごすのは悪い気はしなかった。教授の先生方にも好感が持てた。しかし、わたしが通う大学はここではないと本能が教えていた。

わたしは豊橋駅から名古屋鉄道を使って知立、豊田を経て黒笹駅まで通った。少なくない時間を電車に揺られながら通ったのだ。黒笹駅で降りるのは愛知大学の学生だった。降りないでそのまま乗車しているのは南山大学の学生だった。それが屈辱的だった。愚かにも当時のわたしは偏差値でしか大学の価値が分からなかった。

わたしは学力が低い生徒の気持ちが分かる。なぜなら、わたしは劣等感、嫉妬、焦り、孤独、自己否定、そして一縷の希望、これらすべてを経験しているからだ。それと同時に学力の高い生徒の気持ちも分かる。早稲田に合格した時の魂の高揚。そして、父の涙。後にも先にも父の涙を見たのは早稲田合格の報を知ったあの一度切りだった。

以上は仮面浪人をした者にしか分からない視座である。黒笹駅に着く間際になったとき、南山大学へ行く生徒を見る時のどす黒い嫉妬の感情を今でも明瞭に思い出せる。羨ましかった。わたしも黒笹駅をスルーしたかった。

あの頃のわたしには「まあ、ぼちぼちやろうや。お前は十分、頑張っているよ」と労いの言葉をかけたい。あの頃のわたしの努力は日本中の受験生の中でもトップレベルだったはずだ。十分、頑張っていた。

大仰にいえば、もし、賢い学生というのを前提に、あの頃のわたしのように真剣な努力を重ねれば東大にも行けたくらいだ。そのくらいに思っている。それが証拠に河合塾の全統模試で英語の偏差値は約70に達していた。季節は初夏になっていた。

わたしは、これまで長い間、塾講師や家庭教師の仕事に従事してきたが、あの当時のわたしと比肩するくらいの努力や高い意識を持った受験生にはまだお目にかかっていない。そうはいうものの塾に通っている子どもたちが真剣でないとは言わない。努力が不足しているとも言えない。

あの苦しかった当時があるから子どもたちに向ける眼差しも普通の教師とは一味違う、と自負している。読者諸賢よ、愛知大学を中退して早稲田大学に入学したわたしの学歴がありふれた何処にでもいる教師と同じで信用できない、というなら甘んじてその批判を受けよう。けれども、わたしは仮面浪人時代の真剣さで今日も生徒諸君と対峙するのだ。

なお、わたしが通っていた愛知大学法学部のみよしキャンパスは今は跡形もなくなり、代わりに名古屋駅近くのささしまライブに移転している。

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