読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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「先生、成績を見て」と生徒が成績票を持ってきてくれた。五月の下旬に実施された模試の偏差値と六月下旬に実施された模試の偏差値を比較すると国語は丁度10上がっていた。そして成績票の両方の偏差値の箇所にはマーカーで色が塗られていた。余程嬉しかったのだろう。
わたしはひととおり確認してメモを取り、模試の成績票を塾生に返した。彼女は先月、入塾したばかりである。それゆえ、成績が上がったこととわたしの指導との間に因果関係があるのかはよくよく吟味する必要があるだろう。
しかし、因果関係の検証は大事だが彼女が成績が上がって喜んでいてわたしに感謝しているのに「良かったね」と言わないのは野暮というものだ。
新約聖書の「ローマ人への手紙」には以下のように記されている。
《喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。 あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。》
せっかく喜んでいるのならば共に喜ぶべきだ。そして、その喜びを燃料にしてまだ成績を上げていく必要がある。なぜなら厳しいことを記すようだが彼女の志望校を考えると今の成績では十分とはいえないからだ。さはさりながら感謝されることは嬉しいことだ。教える側もその喜びを燃料にしてまた教えるべきである。
くだんの塾生の人柄はおっとりしていてガツガツしていない。けれども、だからといって成績を気にしていないというのではない。むしろ志望校に合格したい、という強い思いを持って我が塾へ通って来てくれている、ということを改めて思い知った。
くだんの塾生は女子児童である。それゆえ、教室の玄関を開け放しにして授業をしている。今の時季なら玄関を開けたままでも支障はない。もう少し暑くなれば部屋を閉め切ってエアコンをかけねばならないだろうが今は安心してもらうための配慮をしている。
我が塾の男子児童も負けてはいない。最近、偏差値を丁度20も上げた塾生がいるのだ。これもわたしの指導と成績向上との因果関係を考えると検証する必要がある。男子児童はそれほど喜びの感情を露にはしなかったが嬉しかったはずだ。わたしは「成績が上がると嬉しいね」と声をかけたが彼は素直に首肯してくれた。わたしはその素直さに胸がじんとした。
昨日の授業では受験生の国語の模試の成績が偏差値で60台後半であることが判った。これも因果関係を検証する必要がある。
教師として手放しで喜んではいられない。けれども、やはり喜ぶ者と共に喜ぶべきなのだ。彼には「教師にとって生徒の成績向上こそがやる気に繋がるのだよ」と伝えておいた。そして「よくやった」と苦労を労った。
我が塾は生徒諸君が増えて一部の生徒は成績もめきめき向上してきて一見、順風満帆かと思うかも知れない。だが、やはり塾として、あるいは教師としての弱さも抱えながら経営をしている。昨晩も保護者対応でぐったり疲れて夕飯を食べることを忘れたほどだ。
今朝、この稿を書いている際にふと朝飯を食べようとしたら昨日の炊いたままのご飯が炊飯器にそのまま残っていた。これには我ながら驚いてしまった。文字どおり寝食を忘れて仕事に打ち込んだ証だ。もっとも睡眠はとっているが。
朝は玄米の上に醬油を混ぜた卵を流し込み、その上にちりめんじゃこを振りかけて食べている。独り切りの食事。孤独である。そして、それがいい。孤独の時間がほとんどでたまに授業で生徒諸君に関わるくらいで丁度いい。
さあ、今朝もブログの記事を更新することができた。今晩は体験授業の予約も入っている。少々疲れを覚えるが頑張らないといけない。生徒諸君の成績を上げて笑顔にすることがわたしにとって嬉しいことなのだ。
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