読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
TEL 052-918-2779
営業時間:14:50-22:10
授業前の静かな時間にこの稿を書いている。わたしの傍らでは扇風機が動いている。エアコンは除湿モードで運転させている。パソコンからはイージーリスニングが流れている。今日は体験授業を受けて以来会っていない女子受験生の初授業なのだ。
午前中は文房具店へ行き、クリアファイルを二点、購入した。ホワイトボードマーカーの替え芯も二点購入した。準備万端だ。バイクに乗って帰る際に原駅を通り過ぎた。原駅近辺には多くの塾が軒を連ねている。信号待ちをしている時、ビルに入っているテナントの看板を一瞥した。
この少子化の時代にこれだけの塾があるのだ。今後、塾業界は二極化が進むだろう。すなわち、繁盛する塾と淘汰されていく塾に。本物の塾しか生き残れない時代にいよいよ突入する。この時代に子どもを相手に働けることは深い満足が与えられる至極恵まれた立場だ。
ふと教室の冷蔵庫の上にある置き時計に目をやる。午後3時43分だ。授業が始まる午後5時20分までもう少し時間がある。トイレに立つ。頻尿なのだ。わたしには持病があって毎回、食事の後に服薬する。その薬の副作用で水分を過剰に採ってしまうのだ。
トイレの前にはテーブルが置いてあり、その上にアウグスティヌスの『告白』の上巻とトルストイの『戦争と平和』の第一巻が置かれている。見せびらかしている訳ではない。入浴しながら読書するためにトイレの前のテーブルの上に置いてある。わたしが住んでいる賃貸マンションはトイレと風呂が一体化しているユニットバスなのだ。
『告白』も『戦争と平和』も両者共に岩波ワイド文庫で読んでいる。わたしはすでに老眼が進んでいる。それゆえ、文字が大きい岩波ワイド文庫で読める本があればフリマサイトで身銭を切って手に入れているのだ。けれども、名作であっても全作品、ワイド版があるわけではない。ままならぬことである。
教室にある冷蔵庫の扉を開けて冷えたペットボトルの麦茶を飲む。薬缶で沸かした湯に茶葉を入れて冷蔵庫に入れて冷えたら600mlのペットボトルに移し替えるのだ。一日で最低でも一本は飲む。喉が渇いて仕方ないからだ。もう何十年も薬の副作用とは付き合っている。
この時季になると昔、ゴミ収集作業員として働いている時季のことを思い出す。夏に汗をだらだらかいて力仕事を行った。労働とは神が人間に与えられた辛いが尊い営みだ。外で作業をしてトラックの空調の効いたキャビンに戻る清々しさは夏に肉体を使って働いた者にしか分からない秘密だ。
現場の仕事が終わり空け場でゴミを空けたら会社に戻るだけだ。会社内のルールからしたら本来あまりよろしくないことだがコンビニに立ち寄って某アイスを買って食べたものだ。至福のひとときである。会社に戻っていつまでもシャワーを浴びるのも悪くなかった。
今は在宅ワークなので、エアコンが効いている部屋で働くことができる。有り難いことだ。時々、買ってあるプラスチックの容器に入ったバニラアイスを食べて一息つく。ゴミ収集と比べて明らかに今の働く環境は恵まれている。ただ、なぜか時々、暑い中で激しく体を動かして働いていた時代を懐かしく思い出す。あの頃一緒に働いた同僚たちは今どうしているのだろうか。
ふと置時計を見ると時刻は4時22分だ。道路に面している教室にも道路工事の作業をする音が聞こえてくる。空調が効いた部屋で仕事をしているのが申し訳なく感じる。パソコンからはニールセダカの“Laughter In The Rain”が流れている。わたしは目を閉じて束の間、物思いに耽る。
ゴミ取集の時のトラックの運転手とは因縁浅からぬ仲だった。もう少し大人の対応はできなかったか、と今でも胸がつかえるような思いがするのだ。運転手よ、お互い色々あったな。今度、旨い料理でも食べに行こう。むろん、わたしが奢る。あの時は悪かった。
過去は戻らない。歴史は繰り返さない。そうであってなお、わたしは働く。世のため人のために。とりわけ子どものために。かけがえのない短い人生だ。人と揉めている場合ではない。喧嘩をしている場合ではない。さような証しにならない人生なぞ辿りたくないではないか。
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