読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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随分昔のことだ。七月中旬だったろうか。わたしの瞳には色とりどりの花火が映っていた。われわれは家族で河の上で咲く大輪の花を見に来ていた。地元の祇園祭だった。
ドドーン、ドドーン、重低音が腹に響いた。少年のわたしはごった返す橋の上の多くの見物客のひとりだった。夜風が頬を撫でる。明るい夜だった。わたしの気持ちは昂っていた。それに――。
今晩は外国人と一緒だった。父が外国人をもてなすために花火大会に案内していた。女性陣は教会員から贈られた浴衣を着て満更でもなさそうだった。
男性陣はユーモアを解していた。電飾のヘアバンドをしていたブロンドの奥さんを、片言の日本語で「ヘンなヒト、ヘンなヒト」とからかった。少年のわたしは苦笑いをするしかなかった。彼らは遊びで来ているわけではなかった。
毎朝、わたしは重たいペダルを漕いでいた。もう何箇月、何年繰り返していることだろう。坂を立ち漕ぎでのぼっていた。周囲に目を遣ると女生徒もペダルを漕いでいた。彼女らの制服が、あと一滴濃い色なら、わたしも彼女を作ろうと努力したかも知れない。
夏のある日、ペダルを漕いでいるときにホースの水をもろに浴びせかけられたことがあった。かけた年輩の男は一応謝ったが、わたしが通り過ぎると何事もなかったように道路に水を撒いていた。濡れたワイシャツはすぐ乾いた。
高校での勉強は詰まらなかった。授業には耳を貸さず、いわゆる内職をしていた。わたしは一心に志望大学を思った。部活動もせず、授業が終わったら直ぐに家に帰って机に向かった。
花火大会の翌日にそれは起きた。われわれ学生は視聴覚室で授業を受けていた。わたしは欠伸を嚙み殺していたかも知れなかった。
すると父が教室に入ってきた。そして、あの外国人の彼ら彼女らを連れていた。父は忘れ物を届けにきたわけではなかった。先生に紹介してもらっていた。「水上です」と言った瞬間、わたしは凍りついた。父は学校に乗り込んできたのだ。何のために。
教室がざわざわした。水上!同級生は、お前の父親ではないかと訊いてきた。わたしは頭を振った。水上なんていう名前はそうはないはずだが――
突然、白人の男性がわたしを見つけて英語で何か言い出した。目はまっすぐわたしを見ている。
そして、わたしの席までつかつかと歩み寄った。そして笑顔で英語で話しかけてきた。わたしは目を逸らしたかった。知らぬ振りをした。徹底的にとぼけた。男性は小首を傾げて教壇の傍まで戻って行った。
一部始終を見ていた教師は「わが校の交換留学生です」と苦しい噓を吐いていた。有り難かった。やがて父たちが視聴覚室を去って行った。教師は英語の先生だった。
わたしは安心したわけではなかった。級友の追及から逃れる術を考えなければならなかったからだ。だが、そのあとノーコメントを貫いた確たる記憶がない。さりとて自分の信仰を告白した憶えもない。
外国人はアメリカ人であった。
彼らは熱心に伝道した。優しかった。牧師館のわたしの部屋を窓から気さくに話しかけてくれた。飛行機を乗り継いで自腹でわたしの街まで来てくれた。食事を共にした。少年のわたしに冗談を言って気遣った。本来なら配慮してもらう立場なのに。
花火のように束の間の滞在だった。そんな彼らに――
ロイスよ、ケビンよ、カレンよ、ヨット会社の令嬢よ、UCLA卒の秀才よ、わたしはあなた方を知らない、と言ったも同然だ。
あの日のことを老いた父は今も触れない。
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