二十分延長

扇風機が生温い風を運んでくる。エアコンをつける必要がありそうだ。九月上旬の朝、誰もいない教室で独り言ちる。最近、朝の目覚めがすっきりしない。わたしの年齢では珍しくないのかも知れぬ。

それにしても――皮肉なものだな。ふふ、と笑った。

昨日、教室の電話が鳴った。慇懃で隙のない声から営業の電話かと思い、断ろうとしたが電話の主はいつも行くスーパーの店員だった。わたしはなぜスーパーから電話がかかってきたのか訝しく思った。

仕事が一段落したので寝室に退いて煎餅布団に身体を委ねた。午睡しようとしても上手くいかないのが常なのに昨日は違った。呼吸もせぬほどの深い眠りに落ちていった。ふと腕時計を見ると午後四時半か、と思い、まだ愚図愚図眠っていたかったが、もう一度確認すると午後五時半だった。やばい!

授業時間を少し過ぎている。急いで布団の上で部屋着からスーツへ着替える。あたふたしているところに教室の電話が鳴った。受話器を取ると、年輩の女性店員が我が塾の名前を確認してから落ち着いて事情を説明してくれた。その後に女の子が電話口に出た。小さな声で話しかけてきた。一気に目が覚めた。

女の子には「ごめんね」と言った。そして「今、教室にいるから。安心して来てね」と言った。受話器を置いて急いで教室を整え始めた。

女の子はすぐに教室に来た。わたしは小用を足していた。トイレを出て今度こそ玄関の扉を開けて、女の子を迎え入れた。彼女は困ったような顔をしていた。

彼女によればチャイムを鳴らしても出てこなかったのでドアも叩いた、とのことだった。

わたしは女の子に平身低頭謝った。手を洗わねばと思ったが、そんな場合ではなかった。

早速、授業の冒頭で実施している手作りの小テストを解いてもらった。その間にわたしは靴下を履いていたかも知れない。タイマーが鳴った。わたしは生徒の横に行き、解説をした。いつもより丁寧に解説することができた。

小テストの採点が終わってメインの問題を解いてもらった。女の子はときに首を傾げながら、ときに頬杖を突きながら、問題を解いていた。わたしは目を細めて、それを見ていた。

授業は二十分遅れで始まった。女の子に尋ねると、お祖父さんが迎えに来るのは、いつもの時間だと言う。

「ケータイがないから困っちゃう」

わたしは少し考えてから次の授業は二十分、延長しよう、と提案した。女の子はこっくり頷いた。

初夏の頃、教室の玄関を開け放しにして授業をしたことを思い出す。けれども今回のこの失態だ。いや、待てよ。今回の失敗が逆に女の子に親しみを持ってもらうきっかけになるのではないか。

わたしは首を振った。そして自分のずるい計算をいやらしい、と思った。

結果として女の子との授業は二十分延長できた。保護者の方に事情を話して了承を得たのである。帰り際、女の子は小さな声で「次は延長しないの?」と確認してきた。「しないよ」と伝えたら実に残念そうな顔をして靴を履いた。

女の子がいない独り切りの教室で、わたしは次の授業を延長してもいいかな、とちらと思った。

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