責めるより、労わるべきだった

先週、「先生、わたし、怒っています」と言う記事を書いた。この記事に匿名でコメントが寄せられていた。次のとおりだ。《生徒の親に感謝すべき。どれだけトイレが臭かったか、部屋が臭かったか。。。》

以上のようなコメントには気を付けなければならない。かようなフィードバックは大切にすべきだ。瞬間湯沸かし器のようにすぐに反応してはいけない。このフィードバックから何か発見できるはずなのだ。コメントは日曜日に届いたが火曜日にこの文章を発表するゆえんである。

まず、わたしはこの投稿者に感謝する。最近、ブログ記事を書きまくってネタが尽きかけていた。これで一つの纏まった記事が書けそうだ。そうであれば、この辛辣なコメントにも意味がある。わたしは転んでもただでは起きぬ。

次に、わたしは教師としての脇の甘さも、あえて隠さず書いているし、嘘も極力排除していることは指摘しておきたい。この投稿者はわたしが書いた記事を噓ではないと信頼しているからこそ「生徒の親に感謝すべき」という指摘ができるのだ。

この投稿が匿名であることも、わたしは気になった。なぜ匿名なのだろう。もちろん理由は分からない。ここから先は推測にすぎないが匿名であることによって自分の言葉に対する責任から一歩退いているようにも思える。

匿名で投稿する理由は様々だろう。「面倒だから匿名」「個人情報を出したくない」「ブログ主と揉めたくない」「単に匿名コメントに慣れている」等々。

匿名コメントの問題は十分スペースを取って考察する意義がある。わたしは過去に無職の男性と論を戦わしたことがある。むろん匿名ではなく実名で。しかもメールアドレスも相手に知らせた。その経験をこれから記す。

ここで議論が盤根錯節することにならないように結論から記そう。結果として相手の心を傷つけることがいけないのだ。匿名コメントは相手に顔を見られない安心から物言いに配慮がなくなる。そしてエスカレートする危険を常に孕む。ここが最も肝心なところだ。

さらに言葉を足せば匿名でないコメントにも悪意があれば、匿名コメントと同様に責められるところがあるように思う。それは、たとえメールアドレスまで相手に知らせても逃れられない。

前出の男性の文章はブログ村で読んだ。最初に読んだ記事の題名には「くたばれ、クソジジイ」という強烈な言葉が入っていた。彼の記事をぽつぽつ読みだすと凄まじいほどの自己開示をしていた。文面から俺を分かってくれ、という強力なメッセージがひしひしと伝わって来た。

彼は自分のブログを持っていた。そこには夥しい文章が書かれていた。論理は支離滅裂で簡単に論破できる文章だが詰まらなくはなかった。今から考えると逸材だった。何といっても人生で一回も働いたことがない、というのだ。アルバイト経験すらない、という。そして文章を書くことで社会貢献していると主張していた。

今考えると、その彼の弱点がそのまま強みに繋がっていた。それを生かせば随分面白い文章が出来上がったのではないか。人生で一回も働いたことがない、というのは強烈な惹きだ。その彼が「くたばれ、クソジジイ」などという記事を書いている。強烈な独自性だ。唯一無二の日本人だ。

彼に本を書かせてみたら面白いのではないか。その帯には「人生でたったの一度も働いたことがない男の思うこと」と惹句を記せば多くの人目を惹くと思う。

ところが、わたしは無職の男性を責めてしまった。しかも執拗に。もう少し寛容に接すればよかった。彼も孤独だったが、わたしも孤独だった。お互いに反目していては勿体ない。いい意味での化学反応が起きてよかった。

わたしは彼の記事に長いコメントを何度となく送った。だが、彼の胸には響かなかった。当然だ。責めるより労わるべきではなかったか。

人の心を傷つけることには、お互いに何のメリットも生まれない。ここまでのわたしの苦い経験が教えるところだ。もっとも、わたしもすぐに理解できたわけではない。そうと判るまで多くの時日を必要とした。

それから数箇月経った。毎日のように更新されていたブログが更新されない状態が続いた。何箇月経っても更新されておらず今に至る。むろん彼の本はまだ世に出ていない。出たらAmazonで購入して建設的なコメントを残そう。それが、わたしなりの贖罪になるのではあるまいか。

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