諸般の事情に押し込めたくなかった

非道く寒い冬の夜だった。雪が降っていても不思議ではなかった。わたしは400ccのバイクを走らせていた。バイクは港区に向かっていた。途中、橋を下って大きな道に出ようと思ったが無理だった。

仕方ない。降りて冷たい鉄の塊を押した。路面が凍結していたのだ。行かねばならぬ。月の光が道路を照らしていた。

団地の駐車場に重たいバイクを停めた。団地の一室に入って行った。部屋には粗末なストーブが置かれていた。赤赤と燃えていた。寒かった。台所が教室だった。わたしは小学六年生に国語を教えに天白区から港区まで来ていた。

当時、わたしはプロの家庭教師として小学生に国語を教えていた。訪問先の子どもは中学受験目前だった。この期に及んで目の前の子どもはやる気がなかった。だが、わたしは知っていた。家庭教師の会社は法外な授業料を取っていることを。

わたしに入る授業料は安くはなかった。だが会社の取り分の二割から三割程度だった。それでも母親は余裕のないなかで律儀に授業料を支払っていた。

母親は日中、働いていた。その子を養うために。非正規か正規か尋ねることは憚られた。ひたすら子どものために働いていたのだと思う。そして、母親はわたしを先生と呼ぶのだ。先生を頼んだからにはもう大丈夫、と子どものように思い込んでいたのかも知れない。

生徒は少し意地が悪かった。寒い部屋のなか暖かいストーブがわたしに当たらないようにしていた。もう少し素直だったらな、と思わぬでもなかった。

ある日、母親は「先生、予約が取れましたよ」と何処か弾んだ声で言う。今となっては豪華なホテルだったか、ビジネスホテルだったか、思い出せない。名古屋駅近くのホテルに泊まる、ということらしかった。

団地の最寄り駅は徒歩で一時間でも着かない。バスも当てにできなかった。受験当日の朝、名古屋市にある志望校に行くのには時間が足りなかった。団地から志望校は遠すぎた。

しかし、それは些末なことだった。問題は生徒の成績にあった。現在の成績と志望校に合格するだけの実力の方が遠かった。けれども、それは端から判っていたことでもあった。

おそらく会社はこの親子のことなどどうでもいいのだ。とことん儲けていやがる。わたしは胸中で悪態を吐いた。その癖、会社から振り込まれる授業料を期待していた。

わたしは生徒のためだけではなく母親のためにも意地悪に耐えた。精一杯の授業をした。授業をするたびに生徒の弱点が判ってきた。少なくともあと半年は時間が欲しかった。教師の思いとは裏腹に生徒はしぶしぶ授業を受けていた。わたしは結末が分かったような気すらした。

分かっていたことながら諸々を考えると生徒の合格は難しいと思った。綺麗に言えば諸般の事情というやつだ。わたしはこの生徒と母親を諸般の事情に押し込めたくはなかった。そう思いつつ授業をしなければならないことが辛かった。目の前にいる生徒が――。

その生徒はやんちゃだったが、まだ小学生であることには違いがなかった。わたしの生徒には違いなかった。いい授業態度とはお世辞にも言えなかった。けれども、母親はその子が受験で失敗すれば落胆することは容易に想像できた。

授業を終えてバイクに乗ろうとすると雪がちらほら降って来た。雪はやむことなく後から後から降って来た。天を仰ぐと月が出ていた。わたしは身震いした。最後の授業をしてから今に至るまでわたしは生徒の合否を知らされていない。

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