我が塾の教育的人道支援

今日は月曜日だ。また一週間が始まる。昨日は安息日でしっかり休んだ。今日からまたばりばり働きたい、と思う。先週は授業準備や授業と並行して『塾長エッセイ第二巻』の出版の手続きをしていた。ここまでに漕ぎつけるのは並大抵ではなかった。実は第一巻の出版でWordが壊れてしまったのだ。授業冒頭の国語小テストも二箇月間、できなかった。生徒諸君に迷惑がかかった。

けれども、パソコン一台、潰すことも辞さない覚悟で先週から壊れたままのWordを使ったら何とかなった。そして、壊れたWordをそのまま使って『塾長エッセイ第二巻』も上梓する運びとなったことは、わたしにとってすこぶる嬉しい出来事だった。

Wordが使えなくなって、いわゆる「メモ帳」を使ってブログ執筆することを余儀なくされたのだが、皮肉にもむしろ「メモ帳」で書いた方が文章がよく書けることに気づいた。実はこの記事もあえて「メモ帳」を使って書いている。Wordで書くと、ともすると舌足らずな文章になってしまいかねないからだ。けれども、「メモ帳」で書くと読み手に伝わるのに十分な量を書けるのだ。

ところで、わたしは原稿を書く時はYouTubeの音楽を聴きながら書くのだが時々、音楽が中断され、広告動画が挿入されるのが喧しいし、癇に障る。つくづく、現代は騒々しい。我が塾の弱点は先日の記事で述べたように教室のすぐ傍にトイレがあることだが、それだけでない。駅の近くなので自動車やバイクがひっきりなしに通り、時にその騒音が静寂を破る点だ。

教室は角部屋だから道路に面していて仕方ないのではあるが、トイレにしろ、角部屋にしろ、賃貸マンションを教室にしている塾としては如何ともし難い点ではある。かつてある塾経営者が教室に冷蔵庫があるのを見て取って生活感が出ているのは如何なものか、と忠告をしたのだが生徒と教師が熱い熱情を持っていれば場所は関係ない、というのがわたしの信念だ。

海外に目を転じよう。ガザの子どもたちは学校が空爆により瓦礫の山と化した今、テントで授業を受けている。皮肉にもYouTubeで音楽を聴いている途中の宣伝動画で知った事実だ。ユニセフの募金をお願いする動画だった。ファティマという小学六年生の女の子の部屋から見える光景は青空の下にある崩れた建物群だった。ファティマの部屋自体も雨漏りしていた。

けれども、彼女はガザで生まれたことを誇りに思う、と言っていた。教室には生活感がないほうがいい、とか賃貸マンションを教室にするのは如何なものか、とかごちゃごちゃ容喙してくる教師はファティマの生き方、考え方をどう思うだろうか。そして、ファティマはその教師をどう見るだろうか。

我が塾にも健気に通ってくれている生徒諸君が少ないながらいるのだ。我が塾には設備面で声高に自慢するところはない。賃貸マンションの一室が教室だ。奥の部屋はわたしの寝室でバックヤードのようになっている。けれども、真剣で真摯な姿勢の愛すべき生徒諸君が自慢だ。

思うに、ユニセフの仕事は尊くて遣り甲斐がある仕事だ。当然、そこで働くためには熾烈な競争に勝利する必要がある。わたしも戦火のなかで恵まれない状態に置かれている少年、少女を支援したい、と思う。だが、今のわたしの年齢ではユニセフの正規職員になることは絶対にできない。

しかし、とわたしは考える。わざわざ戦火の中に飛び込むまでもないのではないか。目の前にわたしの支援を受ける少年少女がいるではないか。皆、ファティマのように目を輝かせてというわけにはいかないかも知れないが、彼ら彼女らなりに頑張っている。見ていて気づけば頬が緩んでいる。

塾稼業もユニセフの事業と比べて何の遜色があるか。ユニセフでの仕事に勝るとも劣らない尊い仕事ではあるまいか。少子化にもかかわらず中学受験は過熱している。受験戦争だといわれる。しかし、海の向こうでは現在もリアルな戦争が起こっていて、子どもたちは生活するのもままならないのだ。夏にはエアコンのない部屋で汗をだらだら流し、冬は寒さに震えながらテントの中で勉強するのだ。

戦争がレトリックの中だけにある平和な日本で、わたしは今日も生徒と向き合う。時々バイクや自動車の騒音が聞こえてくる。けれども、それが爆撃機の轟音でないことを神に心より感謝する。教育とは、つまるところ戦火の中であれ、平和の中であれ、子どもを未来へ送り出す行為であることに変わりはないのだ。

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