読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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読者諸賢は奇蹟を信じるだろうか。奇蹟があると信じて生きた方が面白い。神を信じた方が面白い。わたしは奇蹟を信じている。神も信じている。今回はひとつそういう話をしてみたい。
わたしが幼いときに父と叔父のマンションを訪ねに行った。当時、叔父は独身だった。わたしが叔父に「カワイソウダネ」と言ったら叔父は笑って「馬鹿」と言った。
その叔父が結婚するという。叔父の結婚式に出席するためにわれわれ家族は街の雑踏の中にいた。式場に行けないのだ。街は東京だったか、富山だったか、あるいは別だったか、今では判然としない。
結婚式が始まる時刻が迫っていた。われわれ家族は文字通り路頭に迷っていた。たぶん電車を乗り継いできたのだろう。街の雑踏の中で式場までの足を見つけなくてはならなかった。
今のようにスマホやケータイがないのはむろんポケットベルすらなかった時代である。遅れることを伝えられないのだ。遅れれば、めでたい結婚式に水を差すことにはなりはすまいか。父は弟のめでたい門出を祝福したかったのだと思う。
思案せずに何事をもイエスに話せよ。讃美歌の一節が父の頭にはまだ浮かばなかったようだ。むろん、母にも、われわれ子どもたちにも。だから父はタクシーを探したはずだ。ところが車どおりが多い道なのにタクシーは一台も走っていなかった。時間は迫っている。タクシーは来ない。
父もわれわれも途方に暮れた。ところが「主の憐れみによる」介入があったのだ。読者諸賢には、もしかしたら出来過ぎた冗談に思えるかも知れない。だが、われわれ家族は覚えている。そして信じている。あれは奇蹟だった――。
父は最後に神に縋った。祈ろう。そして、わたしにこの窮地を脱するように祈れ、と言ったのだ。そして、こう注文をつけた。「ここまで来たら外車に乗せてほしい。しかもリンカーンコンチネンタルがいいな」と。父が知り得る限りの最高級の自動車だったのではあるまいか。
まさか敬虔な父はヤケクソではなかったはずだ。でもあの重要な局面で車種まで指定して自分の長男に祈らせるとは…。幼いわたしに否やがあるはずもなく、父に言われたとおりに祈った。
しばらくして、われわれ家族は見ず知らずの人が運転するリンカーンコンチネンタルのシートに身を委ねていた。リンカーンは式場へ向かっていた。父は興奮しながら運転手と喋っていた。自分でリンカーンコンチネンタルと注文しておきながら父自身がいちばん驚いていた。
もしかして運転手は神の使いだったかも知れぬ。口髭を蓄えた親切な運転手は微笑みながら「よかったですね」とぽつんと言っただけだ。やがてリンカーンコンチネンタルは混雑する道路に消えて行った。われわれは結婚式に間に合ったのだ。
確か、神さまはユーモアを解される、とは聖書の何処にも明文として記されていなかったはずだ。
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