卒塾生からの夏の真心

いつも教室に閉じこもって授業をしていると、たまには外へ出てバイクを走らせたくなる。今日は完全に煮詰まってしまい、バイクで夏の風を浴びようとマンションの教室のドアを開けて階下へ降りた。いつもの癖で地上に設置してある集合ポストを見ると郵便物が溜まっていた。

覗いてみると南山中学校の過去問の他にわたしに宛てた私信が入っていて封書の裏には卒塾生の名前が記してあった。封書の表には朝顔の花があしらってあった。わたしはどうして今の時季に卒塾生から私信が届いたか訝しく思った。そして郵便物をポストに残したままバイクに跨った。

バイクで走っていても私信が気になる。クレームかな。それとも学校の勉強が上手くいっていないのかな。まさか恋の悩みだろうか。見当がつかなかった。卒塾生の性格からしてクレームでも恋の悩みでもないだろうことは察しがついた。それではどういう動機で手紙を送付してきたのだろうか。分からない。

暑い最中をバイクで走って散髪にも行ってマンションの駐輪場にバイクを停めた。そして自分の集合ポストの郵便物をひとつ残らず買い物袋に入れて部屋へ戻った。机の上に郵便物を並べて卒塾生の手紙の封を切って恐る恐る文面に目を落とした。わたしは胸が一杯になった。

封筒には三枚の便せんが入っていた。便せんにも朝顔があしらってあった。丁寧な字でわたしへの感謝が記されていた。手紙を読むと中学校生活が充実していることが判った。そして国語の成績が今なお伸びていて学年のトップ10に入っていることが謝辞と共に生き生きと認めてあった。

わたしは、この卒塾生が今年の冬に中学受験が終わって夏の今に至るまで感謝の念を持ち続けて暑中見舞いをわたしに宛てて送付してきたことに驚きを禁じ得ない。昔の塾生は何か見返りを求めて手紙を書いていない。相談を持ち掛けているのでもない。ひたすら感謝を手紙で伝えたい、という無私の心で書いているのだ。

わたしは襟を正される思いがした。長く生きていると人の恩などすぐに忘れてしまって手柄を独り占めするようなさもしい経験は誰にでもあるだろう。忘恩というのは誠実の対義語だ。

この子は子どもらしい純粋さで、それを直観しているのではないか。この子は我が塾の教育理念を体現さえしていると記すと大仰であると笑われるだろうか。わたしはもうそんな詰まらないことしか記せない。饒舌は感動の対義語だ。人は感動すると世界は消えて沈黙する他ない。

この子は充実した学校生活を送っている。当然忙しいはずだ。そんな中、時間を捻出して手紙を書いてくれた。わたしは、この行為を人間として美しいと断ずるのに何の躊躇いも覚えない。卒塾生は我が塾の教育以上の高みにのぼることができているのだ。わたしが驚きを禁じ得ないゆえんである。

そうであってなお、わたしはこの子こそ我が塾の教育の成果である、と噓はつけない。それはこの誠実な卒塾生の気持ちを踏み躙る行為だ。わたしはいつしか感傷的になって声を出して泣きたいとさえ思った。あの子とのかつての誠実な授業時間を思い出す。

なぜあなたはそこまで気高いのか。わたしの方こそ詳しく教えてほしい。あなたが実績を作ってくれたから今年度は塾生が多く集まったのだよ。わたしには感謝を受ける資格はない。むしろ、わたしがあなたに満腔の感謝の意を表したい。

あなたはいつでも丁寧だった。礼儀正しかった。そして真剣だった。だからこそあなたは志望校に受かったのだよ。そして今のあなたがあるのだ。永遠にあなたはわたしの生徒だ。そして、わたしは黙って胸中で秘かにあなたを誰にでもなく自慢するのだ。

机の上の便せんを何度も何度も繰り返し読んだ。わたしは今日、塾講師として最高のプレゼントを頂戴したのだ。葉書ではなく便せんで三枚。その子の真心は我が胸にはっきりと刻まれた。今日届いた暑中見舞いをわたしは生涯忘れることはあるまい。わたしが忘恩の徒でなければ。

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