読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
TEL 052-918-2779
営業時間:14:50-21:00
夏に「お盆でもここに来たいの?」と言ったら思いがけぬ言葉が返って来た。その女の子は「来たい」というではないか。
我が塾は、お盆や年末年始あるいは祝日も休まない。休むのは日曜日だけで十分だ、というのが経営方針である。
その子は家庭の事情でお盆休みには来なかったが、「来たい」という言葉が嬉しかった。来たければ「来たい」と言うだろうし、来たくなければ「来たくない」と言うだろう。
昨年の大晦日も今年の元旦も自習会を行ったが塾生は来てくれた。大晦日は小学五年生の男の子ひとり。元旦は受験生の女の子ひとり。延べ二名に過ぎないが少ないながらも塾に来てくれた。さような事情を考えると祝日だから休むという発想にはなかなかならないのである。
大晦日に来た男の子は休み時間をこまめにとらせて欲しかったと言っていた。大晦日の自習会で五年生の塾生は疲労困憊したのだった。一方、元旦に来た受験生の女の子は最初から最後まで一貫して集中できていた。今年は、あるいは来年は、改善すべき点は改善していきたい。
我が塾は先日のシルバーウイークも休まず授業を行った。そしてシルバーウイークが終わってから一日実家に行って来た。
午前中に実家から父の運転で市役所まで行き、母に付き添って窓口でマイナンバーカードの受け取り手続きを行ってきた。いったん実家に戻り、昼を食べてから午後に病院にも行って母の通院手続きをしてきた。
母と一日、付き合ってみると前よりも腰が曲がっていたように思えた。杖を忘れてうっかりした、と言っていた。穏やかな秋晴れの日だった。母は「日差しが強いね」と言った。わたしもそう思った。
わたしは母のためなら休みを潰しても構わない、と考える。骨惜しみするつもりはない。市役所での手続きが終わると母はトイレに行きたい、と言うので荷物を持ってトイレの近くで待った。歩くときは母の歩調に合わせた。
前の仕事でも祝日は休まなかった。ゴミ収集のため休めなかった。お盆休みはむろん、正月休みもほんの僅かだった。むしろ年末年始は繁忙期だった。
わたしは我が塾を頼りにして「来たい」という生徒のためにできるだけ塾を開けておきたい。ゴミ収集と比べたら何のことはない。むしろ感謝されるし評判も上がるのではないか。まあ、正直に書けば、さような打算もある。
肉体労働に従事していた頃と一番違うことは仕事をクリエイティブにできる、ということだ。生徒諸君の成績を上げるのはむろんのこと、塾に入ってもらうためにも様々な工夫をしている。
このブログも集客のために書いているのだ。ゴミ収集稼業ではやはり休みたかった。だが、最近は休みたいとは、ほとんど思わなくなった。不思議だ。
むしろ塾生が「来たい」と言えば嬉しく思うように変わった。塾生のやる気に応えたいとも思うのだ。「来たい」と言った塾生は入塾前と比べると国語の模試の偏差値が二〇以上、上がっているので、それと関係があるのかも知れない。
かつて文字が上手くて丁寧な男の子に「やはり美しい人柄は隠せないものだ。自然と滲み出てくる」と少々大仰に褒めた。一緒に笑ってくれる思ったら「やめてよー」と言っていた。
かつて宿題を忘れた生徒の言い訳を噓と見抜いたが責めるのではなく、もっと言い方があったはずだ。生徒を傷つけてしまったかも知れない。それだから冗談さえも配慮して言わねばならないかも知れない。
以上のような文脈で考えると子どもの頃に読んだ、誰でも教師になってはいけない、という聖書の一節が胸に迫って来る。今日も塾講師として失格者にならないように自分に言い聞かせながら目の前の子どもと対峙したい。
《わが兄弟たちよ、多く師となるな。われらは更に厳しき審判を受くることを汝ら知れ。》(新約聖書ヤコブの手紙三章一節より引用。ただし文語訳。)
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