真夏の昼の夢

朝早く起きて働いた後に午睡をした。真夏の昼の夢が塾長としての姿勢をもう一度見直すきっかけになった。夢で、わたしは大変な負債を抱えていた。わたしは教会の一室で暮らしていた。そこで塾を営んでいたが家賃は支払っていなかった。その債務が知らないうちに膨れ上がって立ち退かねばならず進退窮まったところで夢から醒めた。

夢で、わたしは教会の部屋のひとつを私物化していた。部屋は教会員の献金で維持されていた。教会には我が塾に通っている親子が来ていた。新来会者である。もちろん教会側は歓迎したが、わたしだけ気まずい思いをしていた。そういう夢であったが夢の真意は何だったのか。誤解のないように記しておくが現実の塾では借金があるはずはなくコツコツと貯金できている。

旧約聖書にはネブカデネザル王が夢を見て、その当時の国中の知恵者たる呪法師たちに夢の解釈を問う場面がある。王は先ず王が見た夢の内容を呪法師たちに尋ねるが誰も答えられない。ただひとりダニエルだけが答えられた。それは王にとって恐るべき正夢だった。

我が塾は賃貸マンションの一室が教室の国語塾だ。わたしが生活しているスペースの一部で生徒諸君は勉強している。けれども、昼に見た夢が正夢だとしたら、わたしは間もなく退去しなくてはならない。その時が来たら住むことも働くこともできなくなる。それは起こり得ないことではない。

我が塾のマンションは駅の近くの築年数が古いマンションでわたしも含めて住人が僅かだ。教室の近くの部屋には誰も住んでいない。それゆえ国語塾を営むことができている。オーナーに理解があるのだ。あるいは管理会社に理解があるのだ。しかしながら今のままの日がそのまま続くことはあり得ない。わたしは、あくまで中長期的な塾の展望を記しているのであって、すぐにマンションが取り壊されるわけではない。

本稿を書いていると教室の窓が暗くなり雷が鳴って雨脚が強く地面に叩きつけるようにして降っている。塾もこの先、激しい雷雨のような窮地に立たされぬとも限らない。洪水前のノアのように晴れているうちに山の頂で方舟を作って備えなければならない。

フロイトの著書に『夢判断』という名著がある。精神分析の創始者フロイトは人間の心の大部分は無意識である、として日常生活において抑圧を受け、無意識界におしこめられた欲求が錯誤行為あるいは夢として現われる、と説く。

わたしは、まだ同書を読んだことがないが何時か読みたいと考えている。わたしが夢のことを仰々しく書いているのを鼻で笑う向きもあるかも知れないが夢は真面目な人間心理の探求のための大事なよすがなのだ。

ちなみに、お笑い芸人が過剰な昨今、本来は玄人の専門用語であった「ボケ」と「ツッコミ」という言葉が人口に膾炙しているが、それほどお笑いが好きならばベルグソンの『笑い』くらいは読破してほしいものだ。外でのランチを一回、我慢すれば岩波文庫で買える本だ。今流行のインテリ芸人でも読んでいる芸人はひとりもいまい。『夢判断』もそうだが思想界にはさような里程標とでもいうべき本がある。そういう本が読まれていないのは残念なことだ。

閑話休題。わたしは教会の部屋を私物化したわけではないが教会の一室で暮らしながらかつて道を誤った友人を知っている。わたしは友人を責めているわけではない、断罪もしない。ただ、以て他山の石としたいだけだ。わたしの見た夢の中で年老いた両親は何も言わなかった。だが悲しそうな眼をしていた。

わたしは夢を見て、もう少し、後少し塾経営者として襟を正そうと思った。もっと生徒一人一人のことを今以上に考えるべきだと思った。午睡などいい身分だな、というお叱りがあるかも知れない。だが午睡は怠惰ではなくハードワークの必然だ。

塾経営は朝から起きて晩まで働くので午睡くらいしないと続けられない。繰り返すが、ハードワークなのだ。昨晩も眠る前まで働いていて今朝は五時に起きている。生徒諸君を思いながら働いている。

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