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十月下旬の某日、朝からよく晴れていて窓から燦々と陽の光が降り注いでいた。清々しい秋晴れだ。わたしは今日だと思った。御在所ロープウェイに乗りたい。そして湯の山温泉の温かい風呂に身を沈めてみたい。そう強く思った。
御在所岳は三重県三重郡菰野町にある。いつか行ってみたい、と思っていた。そして、わたしは、その日を虎視眈々と狙っていたのだ。
ツーリング当日の朝は早く起きたが、あれやこれやの準備をしていたら出発は午前十時頃になってしまった。遅くとも、あと一時間は早く出発したかった。バイクウエアに革製のパンツ。ライディングシューズ、革製のグローブを身につけて出発した。けれども当日は、よく晴れていたため革製の厚手のグローブは暑くて、とても嵌めていられず、すぐに外して結局、素手でハンドルを握った。
出発が遅かったので朝の通勤ラッシュは、とうに過ぎていた。国道二三号を三重県方面に向かってひた走る。トラックの間はすり抜けて通った。途中、バイクを降りて地図をこまめに見た。その甲斐あって、ほとんど道を迷うことはなかった。地図代わりのスマホがあれば、と思わぬでもないが、ガラケーを使える期限ぎりぎりまでスマホは購入すまい、と心に決めている。
そうこうしている内に、わたしは四日市市街を走っていた。途中で黄色い看板を見つけた。松屋である。ちょうど昼時であるし店舗の前にバイクを停めた。店内で昼食セットを食べた。ワンコインである。安いのが何よりだ。
わたしは、いわゆるグルメにはさほど興味がない。不味い料理よりは美味しい料理の方がよいくらいの感覚でいる。旅行では、まず食費を切り詰める。思うに貧乏人には貧乏人なりの旅行の作法があるのだ。分相応に旅行を愉しむことだ。昼食セットをたいらげて外に出て店の前に停めてあるスクーターに跨り、御在所ロープウェイを目指した。山に行く途中のバイパスが走りやすくて爽快だった。
御在所岳の麓にある湯の山温泉は山田洋次監督、渥美清主演の映画「男はつらいよ」のロケ地としても有名だ。行ってみると、旅館などの風景は、くだんの映画で見たものとほぼ同じで驚いた。ここだけ時間が止まっている。バイクで坂道を上っていくと御在所ロープウェイの駅の目の前まで行くことができた。
御在所ロープウェイを利用する客の専用の駐車場があるのだ。バイクだとワンコインである。念のために記すが百円ではない。どうやら料金は時間制ではないようだ。駐車場からロープウェイ乗り場までしばらく歩くと思いきや、すぐ目の前が乗り場なのだった。
御在所ロープウェイの麓の駅に着いたのは午後一時過ぎだった。駅にある窓口で若いお姉さんに聞くと次の出発は午後二時半ということだった。場内アナウンスに耳を澄ますと強風のためゴンドラに乗るお客の人数制限をしているようだ。だいぶ待たなくてはならない。瞬時、引き返そうかと思ったが、ここまで短くない距離を走ってきたのだ。何にもせずに戻る、というのは嫌だ。待つことにした。
ツーリング当日は全くのオフの日ではなく晩に副業の家庭教師の授業があった。名古屋市の自分の住まいに遅くとも午後七時までには戻らねばならない。午後七時がデッドラインだ。
それゆえに授業の予習のために問題集も持参していた。しかし強風のためにページを繰ることができない。だが、そんな事情を家庭教師先に話してみてもどうにもならない。言い訳はできない。それゆえに強風と格闘しながら強引に読み進めて数ある設問も解いた。
待ち時間をぼうっと過ごしているわけにはいかない。旅先で当日の授業の予習をする、という泥縄式の準備はどうか、と我ながら思った。けれども、自分のやりたいことをするには時間を捻出する必要があるのだ。それにしても麓の強風には辟易させられた。
午後二時過ぎに改札前の列にわたしも並んだ。時間になると改札を通り過ぎゴンドラに乗り込んだ。年配のご夫婦との相乗りだった。ゴンドラはぐんぐん高度を上げていく。駅が段々小さくなっていく。遥か遠くに伊勢湾が見えた。
しかし、ロープウェイというのは愉しめない乗り物だ。もし何かの間違いで落下したら、と想像すると怖い。恐怖が景色を眺める快さを上回る、というのがわたしの感想だ。
十五分ほどで山の上にある駅に着いて、ほどなくしてまた下りのロープウェイに乗るためにすでにできている長蛇の列に並んだ。下りは午後四時に出発する、という若いお姉さんのアナウンスを聞いてげんなりした。一時間以上、並びながら待たなくてはならないからだ。
紅葉シーズンに来ていたら、もっと大変なことになっていたかもしれない。わざと紅葉シーズンを外して来たわけではないが怪我の功名だろう。
午後四時過ぎに売店で職場の同僚にお土産を購入して帰りを急いだ。秋の日は釣瓶落としというが、帰路について気がついたら、日はとっぷり暮れていた。暗いなか大急ぎでスクーターのスロットルを思い切り開けていた。走りながら高速道路を使って帰ろうかとも思ったが、やはり躊躇った。事前に高速道路を使う、というのは想定外だったので、どういうふうに走ったらいいか不安だった。慣れないことをして間違えて時間を食ったら目も当てられない。
なんとか間に合った。名古屋の自分の住まいに到着したのは午後七時になる十五分前だった。肝を冷やしたが家庭教師の授業には間に合った。今度、御在所岳に行く機会があればロープウェイではなく湯の山温泉の温泉に浸かりたい、と思っている。
授業を終えて帰宅して自家風呂に入った。自家風呂は足を曲げて入らねばならないほど浴槽が狭い。せめて足を伸ばして風情のある場所で入浴を愉しみたい、と思った。(おわり)
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