天白区平針駅前にある中学受験国語専門塾の塾長雑感(28)

● 東京工業大学の改名について
2024年10月、東京工業大学は東京医科歯科大学との統合をへて「東京科学大学」となった。しかし、わたしには依然として「東京工業大学」という名称の方がしっくり来る。「科学」という晴れがましい語を冠したことで大学は新たな看板を得たのだろう。だが、工学という営みは本来、地に足のついた知の積み重ねであり、その堅実さこそが東工大の精神だったように思う。

名称が変わっても大学の本質が変わるわけではない。それでも名は体を表すという。東京の国立大学として今後この大学がどのような知の姿を示していくのか、静かに注目していきたい。

● ブログを書く意欲について
ブログを書くうえで最も大事なのは書こうとする意欲だ。文章は強い意欲がなければ書けない。わたしは生計を立てるために文章を綴っている。第一義的には集客のためであり、いわばパンのために書いている。

しかし、それだけではない。このブログは国語塾としてのデモンストレーションの場でもある。読み手に国語専門塾としての実力を知らしめるために書いている。国語塾を名乗りながら、ブログのひとつも記さない塾をわたしは不思議に思う。文章こそ国語塾の実演であり、読者にとっては授業の“予告編”でもある。これほどの機会を利用しない手はない。

● 「書く時間がない」という逃げ口上
文章を書く時間がないというのは逃げ口上に過ぎない。時間は捻出するしかない。テレビを視聴する時間を削ってブログ執筆に充てる、というのはどうだろうか。そういうお前はテレビの時間を削っているのか、と問われれば、わたしはこう答える。わたしの住まいには、そもそもテレビがないのだ。

● スクーターを買い逃した話
いいと思っていたスクーターが売り切れた。岡崎市にあるレッドバロンで売りに出されていたビッグスクーターに買い手が付いたのだ。そのビッグスクーターは外車だ。BMW製で650ccの排気量を誇るスクーターだ。同社のスクーターのフラッグシップモデルだった。今日、午前の授業が終わり次第、レッドバロンに見に行こうと愉しみにしていた。先を越された。やられた!考えることは皆、同じなのだ。価値あるものを手に入れるためには時に思い切りも必要なのだ。

● 田中慎弥氏『孤独に生きよ』増補改訂版について
芥川賞作家である田中慎弥氏の『孤独に生きよ』(徳間書店刊)の増補改訂版を読んだが詰まらなかった。口述筆記だからか。途中でページを繰る手が止まった。氏の真骨頂はやはり小説にあるのだ。同書はフリマサイトに出品することになるだろう。ただし、筆者がインターネットを全く利用しないという徹底した姿勢には感心した。文明の利器たるスマホはむろんインターネットさえ使わない、という点は興味深かった。

● 夏の教室で
昨日の朝の授業の際、塾生のお姉さんが授業を参観された。彼女は東京六大学のうちの一校に通っている。夏休みに帰省していて塾生の送迎を手伝っていたのだ。彼女は大学生だがしっかりしていて且つ真面目な人柄だった。教室に三人共にいたわけだが、それぞれの思惑は一緒ではなかった。塾生の読解力や表現力はとても高いことが昨日も改めて確認できた。帰り際にお姉さんは黙って頭を下げたように見えた。ささやかな夏の思い出になった。

● 塾長という立場について
塾を営んでいると様々な人と関わることができる。例えば六大学のお姉さんがそうだ。しかも塾長として敬意を払ってもらい概ね好意的に接してもらえる。一般にお金を貰う側はお金を支払う側に気を遣わなければならない。けれども塾の場合は立場が逆転している。それゆえ塾の経営者で勘違いする者もいる。塾経営が長くなると思い上がる経営者も出てくる。そういう塾長はその文章を読めばよく分かる。思い上がっている者は読み手に配慮しない。一方的で独善的ですらある。それゆえ文章が詰まらなくなるのだ。やはり文は人なり、なのだ。

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