読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
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コツコツと男は階段を上っていた。四階の廊下を歩き、角部屋の玄関前に立った。ドアを叩いた。ドアは内側から開かれた。授業中だった。男は恐縮して立ち去った。男は階段を下りて夜の闇に消えた。授業が終わる直前のことだった。
授業が終わった。男からショートメールが来た。「ブックオフにいる」とあった。「また教室に来てくれ」と返信した。生徒の忘れ物の件で保護者に電話をしている時に改めて男は来た。電話で話しながら手招きした。「そこへ座って」というと男は席に着いた。
男は微笑んで、机に手作りの食パン一斤とハードカバーの本三冊と茶封筒を一枚置いた。ビニールの買い物袋に入っていた。ブックオフで買って来たのだと言う。そして、プレゼントする、と言う。
気遣いが嬉しかった。こちらも本が幾冊も入っている紙袋を渡した。教室のエアコンや照明は消えた。男はドアが施錠されるのを待った。ふたりは階段を下っていた。
ふたりは塾近くのレストランへ歩いて向かった。木製の重たいドアを開けて席へ着く。褐色の肌をした若い女性が水とおしぼりをテーブルに置いた。男は律儀に礼を言った。
メニューをしばし見た後、ふたりは写真を指して同じ料理を注文した。メニューは日本語で書かれていた。料理の名前はカタカナで書かれていたが見たことも聞いたこともない料理だった。
ふたりは突き出しのサラダを食べていた。男は手洗いに行くと言って席を離れた。その間、先程の若いウエートレスが辛さと飲み物を何にするか尋ねてきた。
料理の辛さは「並み」で飲み物はチャイを注文した。アイスとホットがあったがアイスを選んだ。突き出しの後にチャイが運ばれてきた。ミルクティーのような見た目だが飲んでみると甘くない。それゆえ料理と一緒に食べることができるのだ、と思った。
男は戻ってくると、やおら今日の出来事について報告し始めた。やがて料理が運ばれてきた。男は食前の祈りをした。ふたりで「アーメン」と言って、スプーンでご飯を掬って口へ運んだ。パラパラな米だった。だがスパイスがきいていた。特に骨付きのチキンに味がしみていていい。
チキンにかぶりつく度に指が油で汚れる。ふたりは紙のナプキンを何枚も使った。男はそれでも綺麗な食べ方をしていた。普段は家族と食卓を囲んでいるからだろうか。
「そろそろ出ようか」と提案したが男はもう少し居ようと言った。男は兵庫県から軽自動車で平針まで来ていた。用事を終えて遅い夕飯を食べていたのだ。男は明日も仕事があると言っていた。長居はできなかったはずだ。
食べ終わり、ひとしきり話してから席を立った。支払いをしている最中に店主は男に「また来てください」と繰り返して言った。懇願しているように見えたくらいだ。
だが支払っているこちらには何も言わなかった。会計で受け取ったよれよれの紙幣を財布に仕舞って店を出ると「ごちそうさま」と男は言った。「美味しかった」とも言った。
腕時計を見ると、夜の八時を少し過ぎていた。男と別れてから四階の教室まで戻った。照明を点けると机の上に男のプレゼントが置いてあった。そして、大判の茶封筒が添えて置いてあったのに気づいた。父の説教原稿が中に入っていた。
男は老いた母を気遣って仕事を休んで兵庫から軽自動車で豊橋の実家まで来てくれたのだ。そして半日、母に付き添い、病状の説明を医師から聞いてきたのだ。
翌朝スマホにメールが届いていた。「昨日は11時過ぎにこっちに無事着きました。あとインド料理ご馳走様でした。美味しかったです」と記してあった。弟の配慮を思うとお腹一杯だった。
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