卒塾生の課外授業(下編)

チャイムが鳴った。来たな、と思った。われわれは中学一年生になった卒塾生を教室で待っていた。男子の卒塾生が玄関に立っていた。

彼は少しあか抜けて見えた。制服がよく似合っていた。成長した、ということだろうか。わたしは教室に彼を招き入れた。

彼が塾を卒業してからすでに七箇月も過ぎていた。授業後に塾生の質問に答える、というスタイルで三十分ほど交流の場を設けた。

謝礼はあらかじめ卒塾生に渡していた。わたしの最新刊と金券だ。受け取った彼は「先生、本出したの?」と言っていた。

わたしは、つい懐かしくなって饒舌になったが対照的に塾生は言葉少なに尋ねるのだった。塾生に水を向ける必要があった。進まないのだ。今回の企画はもう少し練り込まねばならない、と思った。

来週はしっかり者の女子が来塾して話してくれるがどういう反応になるか。そもそも今回の企画は受験生のためになっただろうか。言葉は届いただろうか。

男の子の卒塾生は飾り気のない言葉で率直に語っていた。分からぬことは分からぬ、と答えていた。そこに誠実さがあった。人柄は相変わらずいい。

受験生のマインドに刺激を与えるつもりの企画だった。わたしはふたりのやり取りを教卓から眺めていた。よく見える。わたしは教卓にいた方がいい。その方がふたりとも気軽に話せるように思った。

我が塾の現役受験生には質問する機会を二回設けようと思っている。男の子の受験生にはあと一度女の子の卒塾生に質問する機会がある。

女子の受験生には男子中学生だ。しかし、次の授業で彼女の性格を踏まえて、そもそも中学一年生男子を塾へ呼んで話を聞くつもりがあるか尋ねてみようと思っている。

前回、受験生の女の子は質疑応答の後半にしばしばわたしの目を見た。縋るような目だった。そこで、わたしは塾生の意を汲んで時間が終了時刻を三分ほど過ぎたところで会を閉じている。

二回の交流会を終えてから、しばらく空しい気持ちに囚われた。今回の企画は誰かが言うように所詮は自己満足に過ぎないのではないか。わたしの胸中には刺激ではない別の感情が生まれていた。

良かれと思って企画した交流会だが現役の受験生、卒塾生の両者にとって意味はあったのだろうか。交流会後にこういう文章を書いているが何のための文章だろう。

父が牧師として働いていた頃、牧会は精神的な重労働である、と告白していた。塾も同じではないか。だが、わたしは前の職場に戻って改めてトラックに乗ってビンを収集するつもりはさらさらない。年が年だ。

今回のように塾生のために様々な工夫をした結果、それが奏功しなくとも塾経営を諦めたくない。わたしは塾稼業が嫌いではない。

交流会が終わってから何だか満たされない気がした。授業後に将棋部に入ったという卒塾生と将棋を指した。彼が滝中学の将棋部というならわたしも早稲田の将棋部だ。ほんの少し末席を汚していただけだが。

教卓のノートパソコンを使って一局勝負した。久しぶりだったが手加減はしなかった。塾生の帰る時間が迫っていたので長考は避けねばならぬ。

わたしは対局中に何回か悪手を指した。そのときの「ちょんぼ」という独白の意味を卒塾生は尋ねてきた。ふたりで笑った。

意外にも盤面を見るといつの間にか卒塾生の王は詰んでいた。力のある指し手がわざと負けるという経験談を何回か聞いたことがある。

わたしはいまだ相手に十分な配慮ができていないのではないか。わたしも塾稼業を始めた三年生なのだ。生徒諸君よりもほんの少し先輩なだけなのだ。

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