読めて、書けて、受かる中学受験専門国語塾。
TEL 052-918-2779
営業時間:14:50-21:00
本稿が四六〇本目の作品である。Kool & The Gangの“Joanna”を聴きながら教室で書いている。くだんの曲は歌詞の意味は分からないが温かい雰囲気が好きだ。
教室には誰もいない。夕飯には玄米の上に湯煎した牛丼を載せて食べた。インスタント味噌汁を味わい沢庵を摘まんだ。あるとき塾生が尋ねた。「先生は料理はするの?」と。ぎくりとした。わたしが喋るのを待たずに「僕の父は料理がからっきしだ」と塾生は言った。
わたしは味噌汁をインスタントで啜る男だ。それゆえ「役割分担だよ。お母さんが食事を作るからそれでいいのではないかね」と返した。嘘ではなかったが恰好をつけた。
我が住まいにはテレビがないので専らYouTubeで音楽を聴きながら執筆している。商業出版の編集者はその人が書き続けることを作家の資質として必要不可欠と見るらしい。たまたまいい作品を書いたに過ぎない場合もあるからだ。
画家のピカソは生涯に絵画だけでなく版画、素描、彫刻など並みの画家と比較して桁違いの作品を制作したことが知られている。その作品点数は一説には一五万点とも言われている。
むろん絵画と随筆は異なるだろうが本質的には同じ藝術である。随筆は文章の藝である。わたしもピカソのように多く書きたいと思う。しかし、いつまで今のような生活を続けることができるだろうか。人は老いる。そして、その先は誰であれ死である。
今後わたしは商業出版でも本を出す道を模索している。わたしの作品にはいわゆる声がある、というのだ。自分では分かりかねるが、そう言われて思い当たる節がないでもない。
わたしは何処にいようとも印象に残る人物のようである。新しい職場で働いていると決まって目をつけられる。職場ではそれが裏目に出るが文学ではそうではない。創作は人間の弱さも扱う。不器用で世渡り下手な人間にも、そうであるがゆえに書けるものがあるのかもしれない。
わたしは学生時代にデビューした新進気鋭の才気あふれる物書きではない。五六歳でありながら、まだ物書きとしては海のものとも山のものとも分からない。何処にでもいるブロガーのひとりである。今のところはKDPではない本を上梓したいだけなのだ。
創作にあたって、あらかじめプランを決めておくという考え方がある。果たして、そのとおりに作品をつくることができるのだろうか。小林秀雄はかつて学生たちを対象に「わたしは計画が立たぬ男で、目の前の課題に懸命に取り組んでいくのが普通で、だから執筆の軌跡を辿ることはできないのだね」という趣旨の言葉を講演で述べていた。
わたしは小林の講演をカセットテープで聴きながら正直に語っているなと思った。小林の言い方は人生そのものを表現している、とわたしの経験が教えていた。大抵の人の人生は計画どおりには進まぬものだ。
わたしは、まさかこの年齢で国語塾を立ち上げて、こうして文章を書こうとは夢想だにしなかった。パソコンのキイもブラインドタッチではなく、たどたどしい叩き方しかできない。文章を書く速度が思考に追いつかず、じれったいくらいだ。老眼が進み、目もかすむ。
八月はほぼ毎日、執筆した。書かねばならぬ、と自分に言い聞かせて書いた。その結果、塾の繁忙期だというのに二五本の作品を書くことができた。自分の半生には作品にする素材が十分にあると思った。書けるうちに書いておきたい。そう思った。
作家の西村賢太は五四歳で身罷っている。わたしは西村が没した五四歳をとうに過ぎている。むろん、文才というのはあるのであって西村賢太には圧倒的な才能があったことを看過するつもりはない。あと十年が勝負だと考えている。
今は時間にゆとりがあるにもかかわらず夏に書いた質と量を凌駕する作品を書くことはできないようにさえ思える。いったん筆を止めると慣性の法則が働くかのようである。どうやら執筆には勢いも必要なようだ。
先般、『塾長エッセイ第三巻』を上梓することができた。これでKDPで出版したわたしの本は三冊目になった。今後は第四巻を上梓することを考えて編集作業をするつもりだ。すでに弟は三巻を購入して読んでいる最中だという。感想が愉しみだ。
体験授業に見えた保護者にも原則として最新刊を渡している。わたしの著作を読んで入塾するよい契機になるように願いを込めて渡している。わたしの著作は我が塾のいわゆるパンフレットだ。
明日はスポーツの日ということで祝日だ。我が塾は祝日でも休まない。盆も正月もない。明日は午前中も午後も授業が入っている。冷蔵庫の上の電波時計を見ると午前九時になった。明日の九時は何をしているかな。
コメント